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grille

時間をかけて火を通し、柔らかく仕上げました。

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境界線がわからない(ロクみな)
エアルビ
ロクロシショと見習いクンの微妙な関係推せる



溶けてひとつになってもいい
境界線(ボーダーライン)がわからない



 ライブハウスがなんでハコと呼ばれるのか、足を踏み入れるたびに理解する。振動を逃さないために、世界をくりぬいたような四角い容れ物には出口も逃げ道もなくて、閉まった扉はもう一度開くまでその存在を消してしまう。控室で着替えてきたのに、人熱で半袖のシャツの下が汗ばんだ。
(狭いな)
 ふ、と湧き出た感想は不満ではなく高揚だ。基本、呂駒呂はキャパシティや報酬で仕事を選別しないが、それでもここのところ、アリーナや屋外での仕事が多かった。500人で満員になるようなライブハウスはかなり久しぶりで、まだ見習いを名乗る前にあった、ただそこに居るだけで血が湧くような感覚を思い出す。
(まだ、かな)
 控室を出てきたとき、もうすでに開始時刻は目前だった。この、理不尽に待たされる時間も醍醐味の一つだ。前列で今か今かとパフォーマーを待つ熱狂的なファンのソワソワとした空気、後列からじっとステージを見つめる観客の期待の眼差し。ステージからはチューニングの音が聞こえて、消えて。あ、と何かに気がついたような誰かの声が響いた後、パッとステージに照明が灯る。
 ワァァァァァ
 観客たちが思い思いの感性を上げると、それは海鳴りのように響く。ステージに上がるメンバーの最後尾に我が師匠を見つけてしまったら、そこに釘付けになってしまうのはもうずっと前から。
 それぞれが位置について、目配せで始まるパフォーマンス。始まりの静けさは恐ろしいほどで、何かのゲージが溜まっていくような錯覚がある。
 ステージの上で影が揺れる。パリパリとした、レコードを削るような音さえ聴こえるのは、観客が期待に身を潜めるから。続いてじわりと音量を上げながら鳴る、テクノとピアノの混じったようなメロディアスなメロディ。だからその後にドンと響く低音が喉奥から鳩尾に痛いほど響いて。
(わ、あ)
 それを合図に湧き立つ会場、一人なら小さな揺れも、それが重なって伝播したら波のように見えて、まるで溺れているみたいだ、というも思う。だから、そんな波立つ会場のなかにあって、ただただ立ち尽くす自分はきっと、沈んでいるのだと思う。
 あの人の指先が組み立てて、深くなっていく音とビートの海の、底に向かって沈んでいくのだ。
 指先から毛先まで全身がビリビリ痺れて、息が苦しくなる。周囲で振り上げられる拳を真似して手を伸ばしたっていいはずなのに、届かないのが怖いから出来ない。
 激しいのも、優しいのも、切ないのも自由自在に、まるで弄ぶように、それでいて包み込むように。
(あ、)
 キャパシティが狭いと、ステージとの距離が近い。最近はもっぱら舞台袖にいてちょっとした手伝いなんかをしていたから、こんなふうに、肉眼で表情が見える距離でプレイを観るのは久しぶりだった。
(笑ってる)
 いつだって誰よりも楽しそうに見える。ときに土台、ときにペースメーカー、ときにスパイス。まるで天候を操るようにその場の空気を掌握して。
 あんな風になれるとは思えないくらい遠くて、でも絶対に届きたい。近くにいすぎて忘れかけていた本当の距離を思い出して、切なさに目を細めたとき。
(え、)
 血と涙の色をした瞳は確かに、こちらをしっかりと見つめていた、気がした。







「本当に勉強するつもりなら」
 3時間ほどあったはずのステージは一瞬だった。ライブハウスは出口が狭いから控室まで戻るのにひどく時間がかかってしまった。着替えを終えた呂駒呂はミネラルウォーターのペットボトルを空にして潰すと、やれやれといった顔をした。
「俺ばっか見てんじゃねぇぞ」
「……」
 そんなことはない、という否定は出来なかった。だって、ステージの上のこの人から目をそらすことなんてできるはずがなかった。いつだってそうだ。一つでも何か学ぼうと意気込んでいるのなんて始まる直前までで、いざスクラッチが始まればもうあとは飲み込まれてしまう。
「あとなぁ、お前」
 呼ばれて顔を上げると、正面には胸板が見える。背の高い呂駒呂が近くに立つと、目を合わせるために顔を思い切り上げねばならない。
「……それだよ、それ」
 それとはどれのことだろう?首を傾げようとして、それが出来なかったのは。
「その目だ」
 まだ成長しきらない、喉仏も目立たない首の後ろ側を、呂駒呂の大きな手が緩く掴んでいるからだ。
「その目で男を見るんじゃねぇ」
 指先に力がこもって、耳の付け根のあたりに短い詰めが少し食い込む。パフォーマンスの直後だからだろうか、呂駒呂の掌はすこししっとりとして、かいた汗を拭き損ねたうなじにぺたりと張り付いた。
(……え)
 そのまま引き寄せられて、足が一歩前に出る。鼻先に、屈んだ呂駒呂の顔がある。瞳の中の血色と涙色の境目が、疲労に潤んで滲んでいる。
 吐息がぶつかった、とおもった。そのまま唇の輪郭が重なるのではないか、とおもった。しかしそうはならなかった。ただ、まだ更々とした頬に、すこし伸びた髭がざり、と擦れて。
「何されるか、わかんねぇぞ」
 鼓膜に息を吹きかけるような距離と仕草で、いつもよりも疲れてかすれた低い声が、囁くのを聞いた。
 首の後ろ、頸椎の上の皮をゴツゴツとした指先に撫でられると、背筋をつたわって尾てい骨のあたりがじいんとする。もしもしっぽがあったなら、大きく膨らんでいたに違いない。
「……何って?」
 振り絞った返事に聞こえたのは、呆れたようなため息。ちったぁ嫌がれよな、という呟きを、聞き逃してなんてあげない。
「なんでですか?」
 だって、触れていた温度が離れていけば寂しいから。首の後ろからその掌が離れていくとき、絆創膏を剥がすときみたいに皮膚が引っ張られるような気がするから。
「何、しようとしたんですか」
 嫌がるなんて選択肢は最初からないんだって、それをわかって欲しくて、すがるように、頬の辺りで引きとめた手に。
「っいだ!」
 ぎゅうっと耳を引っ張られて、思わず身を竦めた。
「調子乗んなよ、クソガキ」
 意地悪するくせに、怖い顔するくせに、ひどいこと言うくせに。
「もっと自分を大事にしろっつってんだよ」
 手を離す前につねった耳たぶを、優しくすぐるように撫でてくれるのはちょっと、いや、すごくずるい。
「……」
「おら、帰るぞ」
 今日もその背中はひどく広くて大きい。しがみつきたいのをどうにか堪えるために、荷物の紐をギュッと握った。
 
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