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時間をかけて火を通し、柔らかく仕上げました。

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ままごとあそび(帝幻)
肚の底、同じ獣を飼つてゐて。


心中未遂(ままごと)あそび


「金貸してくれっ!」
 性懲りも無く頭を下げにきた男を、夢野はわざとらしく忌々しげな顔で見下ろした。不純なやり取りも、慣れてしまえば何の不快感もないのがいっそ可笑しい。
「ぜってー返すから!」
 夢野が渋るのは別に、金を貸すのが嫌だからではない。ただ単純に金を貸すのがそろそろ、つまらなくなってきたのだ。戻ってくるかわからない金にヤキモキするくらいならさっさと縁を切るだけだが、妙な縁で結びついてしまったせいで、そういうわけにもいかない。
「じゃあ帝統」
 まぁ、ちょうど新しいネタが欲しくなっていたところだ。
「小生と賭けをしましょうか」
 帝統はんが勝ったら無利子で金貸しして差し上げましょ、高い声で揶揄うように告げると、有栖川は子供のような無邪気な顔をした。



 よってふたり、夢野の馴染み、のどかな喫茶店の窓際に、むかいあって座っている。遠慮のない有栖川は、1番高価なハヤシライスを注文してがっついていた。
「ときに帝統」
 賭けはもう始まっている。ふと顔を上げる有栖川の口周りは、やはり子供のようだ。口の端が豪快に汚れている。
「あなたはスリルだの何だのと言って小生に金の無心をしますがね」
 夢野の提案はこうだ。有栖川のすることは、問いに答えること。その答えが夢野を楽しませたら有栖川の勝ち。退屈させたら負け。何だよそれ、と顔を顰める有栖川に、相手の手札を探るのもギャンブラーの腕でしょうと挑発すると、よく考えもせずまんまと乗ってきた。
「なぜギャンブルなんです?」
 一般的な感覚なら、問い詰めるようにも聞こえるその問い。もちろん、責めるつもりは毛頭ない。そのこだわりに触れたいという一心だ。夢野のもつ、人並みならぬ好奇心を正しく受け止められるか、それこそがこの賭けの醍醐味とでも言おうか。有栖川の答えがこの身を喜ばせるか、それとも裏切られるか。
 待つ時間のスリルは確かに、悪くない。
「逆に聞くけどよぉ」
 ガツガツと食事をするくせ、スプーンの持ち方が美しいのは、彼が隠したがるその出自ゆえか。
「他に何があんだよ?」
 その返事が戦略なのか、それともただの捨て身なのか。他人というのはわからない。わからないから面白い。
「他にもあるでしょう?例えば」
 疑心暗鬼のないやりとりは楽しい。
「物語を書く、とか」
 夢野が当然のように言うと、有栖川はキョトンとしてみせた。よもや演技とは思えぬ、やはり幼気な無垢さを持って。
 全く意味がわからない、とでも言いたげな有栖川の向かいで、夢野は懐から小さなメモを取り出した。ペラペラといくつか頁をめくると、ふ、と手を止め、目を伏せて。
 すうっと息を吸う音が、静かな喫茶店に緊張感を産んだ。
「“おやめになつて”」
 得意の声色で夢野は、メモに書きつけた文章を読み始めた。有栖川はスプーンの動きを止め、その口元をじっと見つめた。
「“女の喚くのを、男は聞かなかった。男の右腕が振りかざしたビンは割れていて、鋭い切先にはアルコールがしたたっている”」
 声色自体は落ち着いているのに、抑揚とスピードの付け方が不穏な雰囲気を醸し出す。
「“後生ですから、おやめになって、おやめになつて……繰り返し泣き叫ぶ女の声が、しかしあるときはたと止んだ。……静寂の中で、瓶の先にまた何か液体が滴る”」
 有栖川は、じっと耳を澄ましている。与えられるのは、声であり、言葉であり、そして光景だ。
「“焼酎が入っていたはずの瓶から滴るのは、葡萄酒のように赤黒い雫だ。日に焼けてささくれた畳にぱたりと一滴落ちると、揮発するアルコールの匂いではなく、生臭い鉄の匂いが汚い部屋に満ちた…”」
 ごくり、と有栖川の喉が鳴った。数秒の余韻のあと、夢野はぱたんとメモを閉じ、伏せていた瞼を上げてにこりと微笑んだ。
「どうです、ゾッとはしませんか?」
 有栖川は、すぐには返事をしなかった。返事よりも先に、スプーンでカタ、と皿を鳴らした。
「こえーよいきなり」
 一言そう呟くと、目を逸らしてまたもく、もく、とハヤシライスを咀嚼し始める。
「スリルを味わいたいというのは、よくわかります」
 その光景を、動物の餌やりでも眺めるような心地で見つめながら、夢野は続ける。
「日常は退屈です。だから小生は小説を書く。スリルもリアルもこの頭の中にある」
 穏やかな日差しに、ゆったりとした音楽。のどかにしか見えない景色のうち、自分の内側には不穏が渦巻いている。それだけでこんなにゾクゾクするのに。
「それを出力するだけで小金がかせげるのに、あなたは金を使うだけ使って、なんなら他人の稼ぎをあてにしてのらりくらりと生きている」
 風情も品もないのは譲って、でも、効率が悪過ぎることについてはどう思っているのか。そんな風に思いながら紅茶に口をつけるとき、夢野は俯いたから、一際歪んだ有栖川の顔を認めることはなかった。
「んなこと言ってもよ」
 投げやりな風に言う声に夢野が顔をあげた先で、有栖川は行儀悪くスプーンを舐めると、眉間に皺を寄せたまま、その銀色の先端をビッと夢野に向けた。
「できないもんはできねぇよ」
 お前のそれは才能なんだぜ、みんなにできるわけじゃねぇんだ。褒め言葉と思うにはあからさま過ぎる有栖川の呟きに、欲が出る。
「じゃあですよ、じゃあ」
 ギャンブルをやめさせたいだなんて、微塵も思ってはいない。ただ、その非合理に身を置くことに、何か価値があるとするなら、その魅力を知りたいだけだ。明け透けに言えば、この男の経験を自分のものにしたいのだ。
 刺激が欲しいと“思わされて”いるならもう負けているのかもしれないが、そんなことは最初から、どうでも良かった。
「例えば小生が帝統に金を貸しすぎて露頭に迷ったとしますよ」
「お前はそんなヘマしねーだろ」
「話を聞いてください、例え話です。」
 自分を俯瞰で眺める自分が、楽しそうですねと笑っている気がする。顧みたらきっと恥ずかしくなるほど、自分がはしゃいでいるのがわかる。
「そうしたら、帝統、あなたどうしますか?」
 夢野の問いに、有栖川は腕を組んでわざとらしくうーんと唸って見せた。
 いつの間に、皿は綺麗に片付いていた。
「俺のせいだっていうんなら、面倒くらいは見てやるよ」
「どうやって」
「タダで食えるもん教えてやる」
 そんなんだからモテないんだよ!といつも乱数が言っているのを、何故だかはっきりと思いだした。
「寝心地の良い公園はどうだ?」
 すごいだろ?とでも言いたげな様子は、猫が蝉を捕まえて胸を張るのに似ていて。
「小銭拾ったら半分やるし」
 本当にしょうもない提案を、名案のような顔で話して。ついにひらめいた!という表情を見せたかと思いきや。
「勝ったらゼータクさせてやるぜ!」
 これが正解だろう、と目をキラキラさせて満面の笑みをたたえてみせる。彼にとって、ギャンブルで勝つと言うことの喜びの大きさ、負けてもどうにかなるという底無しの楽観はたしかに、その魂をジェットコースターのように走らせる強い刺激なのかもしれない。
「でも帝統、こうは思いませんか?」
 しかし、まだだ。まだ足りない。沸き立ちそうな興奮を隠しながら、訝る“フリ”で思案する表情を作り、尚も夢野は有栖川を試す。
「刺激のないかわり、安定した衣食住をもち、ただ毎日を温かく爽やかに過ごしたいとは?」
 それはごく一般的でありふれた、万人受けする幸せの形だ。さてどう来る?と答えを待つ夢野は。
(おや)
 有栖川のその目の奥に、吸い込むような暗がりを見た。
「そんなの生きてるって言えねぇよ」
 言う声は低く、じとりと落ち着いている。馬鹿げた宿無し生活を楽しげに聞かせた先程とは、違う人間のようだった。
「死んでねぇだけだ」
 その答えが嘘ではないと理解るのは、嘘つきは他人の嘘にも敏感だから。心の底から沸き立つのは、紛れもなく。
「ふふっ」
 喜びだ。
 きっとふたり、肚の底に、同じ獣を飼っている。退屈は敵で、刺激がなければ死んでしまう。それが真実かどうかなんて本当にどうでもよくて、心が踊ればそれが本物だ。
 夢野は夢想した。安定を捨てた2人で、この命の尽き果てるまで、その日暮らしの宿無し生活。捨てるよりも酷い金の使い方をして、ときに命までも追われながら、もしかして明日死ぬかもしれない、そんな、心中未遂にも似たままごと遊びを繰り返して笑う。何を失ったとて、ひとつ運命の輪の上のできごととして、笑いながら生きていく。
 それはとても魅力的な毎日に思えた。
「負けました、貸しましょう」
 脳裏に閃く愉快な想像が夢野の生命線ならば、その刺激をくれる有栖川の存在はいつか、命綱にさえなるかもしれない。
「本当か」
「ええ、でもその代わり」
 夢野はそっと身を乗り出し、椅子から腰を浮かせて、薄く形の良い唇を、有栖川の耳元に寄せると。
「妾が堕ちたら責任とってくださいね」
 まるで誘惑する淑女のような声と言葉を、その耳に流し込んだ。
 目を見張る有栖川の表情に満足した夢野は、すっと身を離してまた、椅子に腰を落ち着ける。ティーカップの紅茶は、すっかり冷めていた。
「つか、今の話ネタにすんならその分寄越せよ」
 馬鹿なくせに賢いのは獣のような生活をしているからだろうか。
「ま!妾からいくらせしめればご満足?」
 カップをソーサーに置き、袖で目元を覆い、およよ、とわざとらしい嘘泣きをしたとき、まさかその冗談に、有栖川が乗ってくるとは思っていなかった。
 だから、知らぬうちに伸びてきた有栖川の親指が、涙を拭うふりをして。
「お前が泣くようなことはことはしねぇよ」
 変に優しく、微笑むものだから。
(危ない)
 まるで足元がぐらつくような錯覚。もし、もしこの身が堕ちたとき、本当にどこまでも、ついていってしまうのではないか、などと。
(まさか、ねぇ)
 かすかに獣くささの残る、煮込み料理の匂いをさせた指先が、離れていくのがひどく惜しいのが、不思議だった。
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