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「今年も綺麗に咲いたようだな」
話し合いの合間、茶をすすりながら三成がそういうのに、行長も庭先に顔を向けた。梅雨の合間の晴れた空の下、小さな青い花が円くあつまって、あちこちで力いっぱいみずみずしく咲き誇っている。
返事をするよりも、その花の名前を思い出すよりも先に、行長の脳裏を過ぎ去るものがあった。
「あぁ」
自分にも聞こえるかどうかという声で、惰性で返事をしながら、行長はずっと昔のことのように思えるある日を思い出すのをとめられなかった。
あめのなかまあるくあおくあじさいの
(さくなかひとつ きみをみつける)
ぽつぽつと行長の肩を雨粒が打つ。髪も顔もすべてびしょ濡れにして、一人俯いていた。
(ッ、くそ)
少しばかり、失敗をした。誰にも咎められはしなかったし、実害も出ていない。普段ならやり過ごせるはずなのに今回はどうにも振り切れなくて、頭を冷やそうと外に出たら突然の雨にやられた。
(疲れた)
新しい環境に、疲れていた。自分以外は幼い時からここに出入りしているものばかりで、その慣れを見せつけるようにてきぱきと動く。
秀吉直下で働くという出世は、喜びとともに責任も今までの比ではない。それが重たいわけではないが、あまりに自分は部外者過ぎた。
(どないしよ)
新参者の失敗は周囲の侮りにも繋がるだろう。このままでは駄目だ、駄目だと焦って自分を追い込みすぎて、このざまだ。
目の前には青い小花がまるく、まるく寄り添って、仲良さげに生き生きと雨を浴びている。それが行長の疎外感を一層強くした。
軌道修正を急がねばならない。それなのに、なかなか冷静になれないで、頭を冷やしに外に出たらこのざまだ。
(ちょうどよかったやん)
瑞々しい紫陽花にそっと触れれば、その色もあいまって予想以上に冷たく感じる。お前まで冷たくするのかと、まるで棘にでも触れたかのように思わずその手をひっこめた。
雨水を飲みこむように上を見上げると雨粒が顔にぼつぼつとあたって目は開けていられない。頭より先に心が冷えていく気持ちがする。
(しんどいなぁ)
このままずっと雨を浴びていたらどうなるだろうかと、衣服が濡れて肌に張り付くのを感じていたその時だ。
「何をしている」
最近ようやく聴きなれた声だ。加藤清正、自分を睨み付けるその眼差しは、もう目を開けなくてもわかるほどに感じてきたけれど。
「…悪いけど、かまわんといてや」
今は彼の相手などしていられない。年下の相手には慣れているけれど、自分を疎む人間をあしらう体力は今の行長にはなかった。
「…いつまでそこにいる気だ」
口ぶりから、随分前から気が付いていたのだろう。ばつが悪くて、上を向いていた顔を下に向ける。
「ここじゃなければ、ええんやな」
そう言って彼に背を向ける。もうここにはいたくない、それだけだった。なのに。
「待て」
制止の声など聞くつもりはなかった。しかしその声は予想以上に強くて、思わず足をとめて振り返る。
目があった瞬間、相手の眉間にしわが寄るのを見つけて、そんなに嫌ならかまうなや、と内心でため息をついた。
「なんや」
やっとの思いで返事をすれば、ざくざく、とこちらに歩み寄ってくる。よく見れば傘も持たずに、相手ももう随分濡れていた。
人一人分ほどの距離で向かい合う。何のつもりだと行長は思う。どうせろくなことがないのに、なぜ自分はこいつと向き合っているのだろうか。
(嫌味でもなんでも、寄越すならはよしてや)
早く相手の気が済めばいいと、その動向をただ眺めていると、清正は傍らの紫陽花から花を一つプチリと摘んだ。
(…僕みたいや)
そのゆったりとした動作を目で追ってそう思った。まあるく寄り添った中で、一つ離れた小さな花。
(嫌やな、)
雨のせいで心なしかぼんやりする視界のなかで、清正の手の中の青が浮き上がるように行長の目を射る。
だからその青が、清正の手が、自分に近づいてくるのに気が付くのが、遅れた。
す、と自分の頭の、結い上げた部分に何かが挟まる感覚があったかと思うと、清正の手が離れていくのが見える。
「な、ん」
「女のようだな」
何をしたかは想像に難くない。何がしたいんだと頭に触れてそれを確認しようとする行長に、侮るような声が降ってきて、思わずそちらを睨み付ければ、その眼は予想外にも笑っていなかった。
まっすぐにこちらを射ぬいている。二人の間に雨なんか降っていないのではないかと思うくらい、その眼はしっかりと行長を見つめている。
背筋にゾクゾクと何かが這い上がる感覚がした。目がそらせない。そのまま見つめ合っていたら気迫に押されそうで、負けじと行長も目に力をこめた。
すると、清正の目の色が少しだけ変わった。年下とは思えぬ不遜なまなざし。それがお前のするべき顔だと満足した様な、目の奥が笑っているような、眼差し。
(クソ生意気)
何でそんなに機嫌がいいのだ、他人の失敗がそんなに心地よいかとその眼の奥を探るように睨む。
「あぁ」
そんな行長にまた降ってくる、感心した様な声が行長をさらに苛々させる。こんな男に見下されて、悔しくないのかと湧き上がる何かがある。
「その顔なら、頭に花をつけていても男に見えるぞ」
「ッ貴様、」
しかし、口から出かけた罵り言葉は、そう言って一度目を閉じた清正の目が再び行長を射ぬくとき、どこかに失くしてしまった。
行長はその奥にあるものを見つけてしまった。
(僕を、みとるのか)
その瞳の中にあるのは、愉悦でも侮蔑でもなく、自分だった。ただ清正は自分を見ている。行長の逃げも、落胆も、自己否定さえ、許さないとでもいうように。
(僕は、そこにいたんか)
〝このままじゃ、おわれへんで〟
その強い眼差しの奥に見つけた自分がにやりと笑った気がした。
「弥九郎?」
声をかけられてはっとした。目の前に広がる青色に、連れていかれていた思考がふわりと戻ってくる。
どうかしたかと問う声に、なんでも、と答えるけれども、きっと彼には気付かれているだろう。
「これから、忙しくなる」
「あぁ」
すする茶はもう冷めている。もう一度見つめた紫陽花の青色の先にいる男と、分かり合えぬまま、自分はきっと死ぬのだろうと、思う。
(でも)
あの、彼の瞳の中にいた自分は、死なないような、そんな気がする。その時の行長はそっと微笑んだのだけれど、見ていたのは、まあるく集まる紫陽花たちだけだった。
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