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何もかもが変わったけれど、何も変わっていないと思った。
ふ、と浮き上がる意識とともに薄くまぶたを開けたら義堯の目の前にあったのは喉仏だった。頭をもそりと動かして顔を見れば、彼はまだ夢の中のようで、起きる気配はない。
規則的な寝息を聞きながら、自然と指がその顔に伸びた。古い記憶にだけ残る傷跡をなぞってみる。
(確かこの辺、から、こう)
記憶の傷を再現するように爪で頬を撫でる。かつて身体中に刀傷を作っていた男の肌は、今では傷跡さえ見当たらなくて、美しいまま保たれている。
たしか胸のあたりや脇腹にも大きな傷跡があった。全て覚えているのかと自嘲を漏らした時、背中に回っていた腕にこもる力が強くなった。
起きた、わけではないようだ。何か夢でも見ているのだろうか。
夢なら義堯もよく見る。昔々、まだ自分が他の人生を歩んでいた時の夢だ。罠と下剋上と戦いの日々、その中にあった、ひどい執着の夢だ。
(うじやす、)
その夢の中で自分を何度も抱く男が目の前に現れた時は驚いたし、その男が自分に、なんの戸惑いも、驚きもなく、はじめまして、と挨拶した時は、こんなもんかと呆然としたものだ。
(なんで俺が覚えてて、お前が)
惹き合ったと思っていた魂が一方通行だったのだと言われたような気がして、自分の中にだけ残る執着は行き場を失った。しかし、義堯の苦しみはつかの間のことだった。
氏康は、変わっていなかったのだ。再会してからの態度は、記憶の中と全く同じだった。強引で、しぶとくて、強い男。
だから義堯もそれに応えた。つれなくするのは簡単だった。だって一回経験済みだ。
この出会いは運命だと思うのです、真っ直ぐな瞳でそんなことを言われたら、彼の魂の変わらないこと、お互いの引力を疑うすべなどなかった。
バカじゃねぇの、と応えたのは我ながら満点だったと義堯は思う。
昔もわからなかったことだが、平和な時代で肌を重ねるようになっても、まだ自分の気持ちは分からない。愛だとか恋だとか呼べるほど美しくも優しくもないけれど、そんなものよりひどい執着だ。
(離せない)
彼の心を引きつけておけるなら身体だって使えた。もちろん自分から差し出したりはしない。奪わせるのだ。氏康が愛しているだとか好きだとか言うたびに襲う罪悪感くらいでは、どうにもならないくらいに焦がれていた。奪い合う関 係の甘美は、彼で無いと与えてはくれまい。
目の前の肩に頭を寄せれば、いつか、その肌の熱さに抗って身をよじった日を懐かしく思い出す。
自分を抱く時の、まぶたの奥が昔と同じに、猛獣のギラつきを孕んでいたときは全身が粟立つほど興奮した。
記憶など、なくても、お互いがこんなに求めている。
それだけでいいのだ。
目が覚めたら、腕の中からすり抜けてやろう。それまではこの男が自分のものである満足を吸い取っていよう。
(今度は俺が先に死んでやる)
だから、次はお前が俺を追いかけてこいよ、そう思いながらまた目を閉じる。
目覚まし時計の鳴る30分前、義堯はつかの間のまどろみを待った。
////////////////////
「氏康さんのことでお話が」
貴重な休日、だらだらと過ごしていたらインターホンが鳴った。こんな日に誰だと玄関の扉を開ければ、何度か見たことがある顔がそこにあった。
少し俯いて言いづらそうに、眉間にしわを寄せる彼を、義堯はほぼ無言で自室に招き入れた。
つい先ほどまで氏康が座ってコーヒーを飲んでいた場所で、多目という男は出されたグラスを睨み付けていた。
「で、話って何だ」
自分は適当なインスタントコーヒーの入ったカップをもって向かいに座る。
「見当はついているでしょう」
確かに、だってこれも、〝はじめて〟ではない。沈黙を肯定と取ったのか、多目はためらいなく言った。
「氏康さんと、別れてください」
口調は穏やかだった。
「彼は優秀な人物です。これから父、氏綱さんの事業を次いで社長になる方」
そんなことは言われなくても知っている。返事はせずにインスタント―コーヒーをすする。妙に焦げ臭いそれは義堯の舌には合うが、良いものを知っている氏康はもしかしたら苦手なのかもしれない、などと考える。
「そろそろ結婚して、跡継ぎも必要になります」
その言葉に、義堯の眉がピクリと反応したのを多目は見逃さなかった。何を急いだのか、言わなくてもいいことを、言った。
「現代では、愛人というのも外聞が悪い」
その言葉に、ハッとする。もしかして。
「お前、覚えているのか」
多目はすこしだけ目を見開くだけで返事をしない。代わりに、グラスの中でわずかに溶けた氷がカランと涼しげな音をたてた。
「……別れるって、言ってもよ」
少し冷めたコーヒーが何故か先ほどよりも渋く感じて、コトンとカップを机に置いた。
「別に俺たち、つきあってないぜ」
「そんな!」
「それに」
義堯は下から多目を睨み返す。
「そういう話は氏康の野郎に直接言えって」
昔もいっただろ、と言葉にはせず眼差しで伝える。伝わったのか、多目はばつが悪そうに眼をそらした。
「俺のところに来るも来ないも、あいつの勝手だ」
今度は多目が沈黙を守っている。
「あいつが離れていくときは、追いかけないから安心しろよ」
もういらなくなったコーヒーを片付けようと、カップをもって立ち上がる。
だからもう帰れ。キッチンへと多目の横を通り過ぎる。その時中身の減っていないグラスを回収しようとしたその手を、取られた。
「…何だ」
「直接言って、聞くと思いますか」
「さぁな」
聞かないだろう。下手をすれば、義堯と生きる覚悟を一層固くしてしまうだろう。
「死ぬまで、このままいるつもりですか」
多目はこちらを見ていないから、その表情は分からない。唯一見えるつむじに向かって、返事をした。
「それもいいかもな」
その瞬間、つかんでいた手がゆるむから、食器を引き上げて台所に向かう。
「お邪魔しました」
そう言って多目が出て行って、扉がパタンとしまった時、義堯のつぶやいた言葉は、誰の耳にも届かず消えた。
「死ぬまでじゃ少し、物足りないか」
どちらが夢か
ふ、と浮き上がる意識とともに薄くまぶたを開けたら義堯の目の前にあったのは喉仏だった。頭をもそりと動かして顔を見れば、彼はまだ夢の中のようで、起きる気配はない。
規則的な寝息を聞きながら、自然と指がその顔に伸びた。古い記憶にだけ残る傷跡をなぞってみる。
(確かこの辺、から、こう)
記憶の傷を再現するように爪で頬を撫でる。かつて身体中に刀傷を作っていた男の肌は、今では傷跡さえ見当たらなくて、美しいまま保たれている。
たしか胸のあたりや脇腹にも大きな傷跡があった。全て覚えているのかと自嘲を漏らした時、背中に回っていた腕にこもる力が強くなった。
起きた、わけではないようだ。何か夢でも見ているのだろうか。
夢なら義堯もよく見る。昔々、まだ自分が他の人生を歩んでいた時の夢だ。罠と下剋上と戦いの日々、その中にあった、ひどい執着の夢だ。
(うじやす、)
その夢の中で自分を何度も抱く男が目の前に現れた時は驚いたし、その男が自分に、なんの戸惑いも、驚きもなく、はじめまして、と挨拶した時は、こんなもんかと呆然としたものだ。
(なんで俺が覚えてて、お前が)
惹き合ったと思っていた魂が一方通行だったのだと言われたような気がして、自分の中にだけ残る執着は行き場を失った。しかし、義堯の苦しみはつかの間のことだった。
氏康は、変わっていなかったのだ。再会してからの態度は、記憶の中と全く同じだった。強引で、しぶとくて、強い男。
だから義堯もそれに応えた。つれなくするのは簡単だった。だって一回経験済みだ。
この出会いは運命だと思うのです、真っ直ぐな瞳でそんなことを言われたら、彼の魂の変わらないこと、お互いの引力を疑うすべなどなかった。
バカじゃねぇの、と応えたのは我ながら満点だったと義堯は思う。
昔もわからなかったことだが、平和な時代で肌を重ねるようになっても、まだ自分の気持ちは分からない。愛だとか恋だとか呼べるほど美しくも優しくもないけれど、そんなものよりひどい執着だ。
(離せない)
彼の心を引きつけておけるなら身体だって使えた。もちろん自分から差し出したりはしない。奪わせるのだ。氏康が愛しているだとか好きだとか言うたびに襲う罪悪感くらいでは、どうにもならないくらいに焦がれていた。奪い合う関 係の甘美は、彼で無いと与えてはくれまい。
目の前の肩に頭を寄せれば、いつか、その肌の熱さに抗って身をよじった日を懐かしく思い出す。
自分を抱く時の、まぶたの奥が昔と同じに、猛獣のギラつきを孕んでいたときは全身が粟立つほど興奮した。
記憶など、なくても、お互いがこんなに求めている。
それだけでいいのだ。
目が覚めたら、腕の中からすり抜けてやろう。それまではこの男が自分のものである満足を吸い取っていよう。
(今度は俺が先に死んでやる)
だから、次はお前が俺を追いかけてこいよ、そう思いながらまた目を閉じる。
目覚まし時計の鳴る30分前、義堯はつかの間のまどろみを待った。
////////////////////
「氏康さんのことでお話が」
貴重な休日、だらだらと過ごしていたらインターホンが鳴った。こんな日に誰だと玄関の扉を開ければ、何度か見たことがある顔がそこにあった。
少し俯いて言いづらそうに、眉間にしわを寄せる彼を、義堯はほぼ無言で自室に招き入れた。
つい先ほどまで氏康が座ってコーヒーを飲んでいた場所で、多目という男は出されたグラスを睨み付けていた。
「で、話って何だ」
自分は適当なインスタントコーヒーの入ったカップをもって向かいに座る。
「見当はついているでしょう」
確かに、だってこれも、〝はじめて〟ではない。沈黙を肯定と取ったのか、多目はためらいなく言った。
「氏康さんと、別れてください」
口調は穏やかだった。
「彼は優秀な人物です。これから父、氏綱さんの事業を次いで社長になる方」
そんなことは言われなくても知っている。返事はせずにインスタント―コーヒーをすする。妙に焦げ臭いそれは義堯の舌には合うが、良いものを知っている氏康はもしかしたら苦手なのかもしれない、などと考える。
「そろそろ結婚して、跡継ぎも必要になります」
その言葉に、義堯の眉がピクリと反応したのを多目は見逃さなかった。何を急いだのか、言わなくてもいいことを、言った。
「現代では、愛人というのも外聞が悪い」
その言葉に、ハッとする。もしかして。
「お前、覚えているのか」
多目はすこしだけ目を見開くだけで返事をしない。代わりに、グラスの中でわずかに溶けた氷がカランと涼しげな音をたてた。
「……別れるって、言ってもよ」
少し冷めたコーヒーが何故か先ほどよりも渋く感じて、コトンとカップを机に置いた。
「別に俺たち、つきあってないぜ」
「そんな!」
「それに」
義堯は下から多目を睨み返す。
「そういう話は氏康の野郎に直接言えって」
昔もいっただろ、と言葉にはせず眼差しで伝える。伝わったのか、多目はばつが悪そうに眼をそらした。
「俺のところに来るも来ないも、あいつの勝手だ」
今度は多目が沈黙を守っている。
「あいつが離れていくときは、追いかけないから安心しろよ」
もういらなくなったコーヒーを片付けようと、カップをもって立ち上がる。
だからもう帰れ。キッチンへと多目の横を通り過ぎる。その時中身の減っていないグラスを回収しようとしたその手を、取られた。
「…何だ」
「直接言って、聞くと思いますか」
「さぁな」
聞かないだろう。下手をすれば、義堯と生きる覚悟を一層固くしてしまうだろう。
「死ぬまで、このままいるつもりですか」
多目はこちらを見ていないから、その表情は分からない。唯一見えるつむじに向かって、返事をした。
「それもいいかもな」
その瞬間、つかんでいた手がゆるむから、食器を引き上げて台所に向かう。
「お邪魔しました」
そう言って多目が出て行って、扉がパタンとしまった時、義堯のつぶやいた言葉は、誰の耳にも届かず消えた。
「死ぬまでじゃ少し、物足りないか」
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