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じめじめとした空気が肌にまとわりつく。吹き付ける潮風にはもう昔から慣れているが、拭っても、拭っても消えない湿気にはかなわない。
蝉がうるさい。その叫ぶような音を浴びながらゆるい坂を上った先に、子供が1人うずくまっていた。
調子でも悪いのかと近づくと、それは、秀家もよく知る子供だった。
「何をしているのだ」
うしろから優しく声をかける。首だけで振り向いた子供は秀家の姿を認めると慌てて立ち上がった。
「うきたさま」
慌てなくても良いぞと頭を撫でてやれば、はにかむのが可愛らしい。
「そんなところにしゃがみこんで、どうした」
尋ねると、また子供はくるりと身を翻して、先ほどと同じように、ちょん、とかがんで言った。
「これです」
そこにあったのは
「蝉か、」
そこには、仰向けに転がった蝉、いや、蝉だったものがあった。
子供は、じいっと蝉を見つめて言った。
「何ゆえせみは、このように、あわれになきがらをさらすのでしょうか」
そう子供が言う間にも、これから悲しく散っていくだろうセミたちの力強い叫びが青い空に吸い込まれていく。
秀家は自分が似たようなことを誰かに聞いた日を、それに応えてくれる人がいた日を、紐をほどくようにそっと、思い出した。
―――――
それはまだ秀家が岡山の城で、自分を愛してくれる人に囲まれて生きていたころの話だ。
庭で遊んでいた秀家は足もとになにかいるのに気が付いた。
(せみだ!)
しかしよく見るとそれはひくりとも動かない。つついてみても、つつかれたまま軽くころころと揺れるだけだ。何とも、情けない。
しゃがみこんで、その乾いた茶色の腹と、きゅっと縮こまった足を見つめる。こんな風に死ぬ虫が他にいるだろうか。
幾日も懸命に鳴き続けて、鳴き続けて、その最後がこんなに情けないものではかわいそうだと思った。この世の何ともいえない切なさを、死んだセミのまるい瞳のなかに見つけてしまったような気がした。
「なにしてはるの」
秀家がひとり物思いに沈んだとき、後ろから聞きなれた声がした。
「やくろう…」
城を出入りしている、小西弥九郎という人物だった。何をしに来ているのかは知らなかったが、いつも面白い話を聞かせて、遊び相手になってくれる彼に秀家はとても懐いていた。
そしてそれから、自分にとってとても大切な人になるのだけれど、当時まだ子供だった秀家には、そんなこと知る由もなかった。
「蝉ですか」
隣に弥九郎がしゃがみこむ。秀家は静かに頷いた。
「なぜこのような死に方をするのだろう」
木に止まるでもなく草に隠れるでもなく、地面にころりとその腹をさらして。
「一生懸命、鳴いていたのに」
夏の日差しが、さらされた秀家のうなじをじりじりと焦がすように照らす。
頭に優しい手のひらを感じた。
「一生懸命、鳴いていたから、」
期待していなかった返事に驚いてそちらを見れば、弥九郎の横顔には微笑があった。蝉の声が遠くなる。
「悔いることなどないのでしょう」
吹き抜けた風が汗を少しだけ冷やしていく。
「死に方など、気にしていないのでしょう」
そういって、こちらを向いた。その顔がとても、優しかった。
「自分のつとめを、きちんと果たしたから」
蝉の声が、またじわじわとうるさくなる中で、きこえた、「弔ってあげましょうね」という声にこくりと頷く。
日差しで熱くなった頭を、少し大きな細い手が労わるように撫でてくれた。
あの優しい手のひらが、失われてしまって、もう、どのくらい経ったのだろうか。
―――――
「一生懸命鳴いていたのに」
それがいつかの自分の言葉なのか、目の前にいる子供のものなのか、判断するのに時間がかかった。
しゃがみこむ子供の横に自分もしゃがみ、秀家はあの時の彼の言葉舌にのせる。
言いながら、自分の生き様を思った。彼はどんな気持ちだったのだろうか
撫でた子供の頭は思っていたより小さかった。彼の手のひらにおさまった自分の頭も、こんなに小さかったのだろうか。
まるで儀式のようにあの時を繰り返す。子供と一緒にせみを土に埋めていく。
〝悔いることなどないのでしょう〟
頭の奥から声が響く。
〝死に方など気にしていないのでしょう〟
彼の亡骸に手を合わせることすらできなかった。
〝自分のつとめを、きちんと果たしたから〟
少し山になった蝉の墓に、子供がそっと手を合わせる。それに倣って手を合わせるとき、脳裏に彼の笑顔が浮かぶから、つむった瞼に力がこもる。
(彼は果たしたのか)
自分のつとめを。悔いなき人生を。
(自分は果たせたのか、果たせるのか)
今なお鳴く蝉が自分の最後を知らぬように、秀家にもまた、それは分からなかった。
蝉はただたださわがしく、その音は変わらず青い空に吸い込まれていくだけだった。
蝉がうるさい。その叫ぶような音を浴びながらゆるい坂を上った先に、子供が1人うずくまっていた。
調子でも悪いのかと近づくと、それは、秀家もよく知る子供だった。
「何をしているのだ」
うしろから優しく声をかける。首だけで振り向いた子供は秀家の姿を認めると慌てて立ち上がった。
「うきたさま」
慌てなくても良いぞと頭を撫でてやれば、はにかむのが可愛らしい。
「そんなところにしゃがみこんで、どうした」
尋ねると、また子供はくるりと身を翻して、先ほどと同じように、ちょん、とかがんで言った。
「これです」
そこにあったのは
「蝉か、」
そこには、仰向けに転がった蝉、いや、蝉だったものがあった。
子供は、じいっと蝉を見つめて言った。
「何ゆえせみは、このように、あわれになきがらをさらすのでしょうか」
そう子供が言う間にも、これから悲しく散っていくだろうセミたちの力強い叫びが青い空に吸い込まれていく。
秀家は自分が似たようなことを誰かに聞いた日を、それに応えてくれる人がいた日を、紐をほどくようにそっと、思い出した。
―――――
それはまだ秀家が岡山の城で、自分を愛してくれる人に囲まれて生きていたころの話だ。
庭で遊んでいた秀家は足もとになにかいるのに気が付いた。
(せみだ!)
しかしよく見るとそれはひくりとも動かない。つついてみても、つつかれたまま軽くころころと揺れるだけだ。何とも、情けない。
しゃがみこんで、その乾いた茶色の腹と、きゅっと縮こまった足を見つめる。こんな風に死ぬ虫が他にいるだろうか。
幾日も懸命に鳴き続けて、鳴き続けて、その最後がこんなに情けないものではかわいそうだと思った。この世の何ともいえない切なさを、死んだセミのまるい瞳のなかに見つけてしまったような気がした。
「なにしてはるの」
秀家がひとり物思いに沈んだとき、後ろから聞きなれた声がした。
「やくろう…」
城を出入りしている、小西弥九郎という人物だった。何をしに来ているのかは知らなかったが、いつも面白い話を聞かせて、遊び相手になってくれる彼に秀家はとても懐いていた。
そしてそれから、自分にとってとても大切な人になるのだけれど、当時まだ子供だった秀家には、そんなこと知る由もなかった。
「蝉ですか」
隣に弥九郎がしゃがみこむ。秀家は静かに頷いた。
「なぜこのような死に方をするのだろう」
木に止まるでもなく草に隠れるでもなく、地面にころりとその腹をさらして。
「一生懸命、鳴いていたのに」
夏の日差しが、さらされた秀家のうなじをじりじりと焦がすように照らす。
頭に優しい手のひらを感じた。
「一生懸命、鳴いていたから、」
期待していなかった返事に驚いてそちらを見れば、弥九郎の横顔には微笑があった。蝉の声が遠くなる。
「悔いることなどないのでしょう」
吹き抜けた風が汗を少しだけ冷やしていく。
「死に方など、気にしていないのでしょう」
そういって、こちらを向いた。その顔がとても、優しかった。
「自分のつとめを、きちんと果たしたから」
蝉の声が、またじわじわとうるさくなる中で、きこえた、「弔ってあげましょうね」という声にこくりと頷く。
日差しで熱くなった頭を、少し大きな細い手が労わるように撫でてくれた。
あの優しい手のひらが、失われてしまって、もう、どのくらい経ったのだろうか。
―――――
「一生懸命鳴いていたのに」
それがいつかの自分の言葉なのか、目の前にいる子供のものなのか、判断するのに時間がかかった。
しゃがみこむ子供の横に自分もしゃがみ、秀家はあの時の彼の言葉舌にのせる。
言いながら、自分の生き様を思った。彼はどんな気持ちだったのだろうか
撫でた子供の頭は思っていたより小さかった。彼の手のひらにおさまった自分の頭も、こんなに小さかったのだろうか。
まるで儀式のようにあの時を繰り返す。子供と一緒にせみを土に埋めていく。
〝悔いることなどないのでしょう〟
頭の奥から声が響く。
〝死に方など気にしていないのでしょう〟
彼の亡骸に手を合わせることすらできなかった。
〝自分のつとめを、きちんと果たしたから〟
少し山になった蝉の墓に、子供がそっと手を合わせる。それに倣って手を合わせるとき、脳裏に彼の笑顔が浮かぶから、つむった瞼に力がこもる。
(彼は果たしたのか)
自分のつとめを。悔いなき人生を。
(自分は果たせたのか、果たせるのか)
今なお鳴く蝉が自分の最後を知らぬように、秀家にもまた、それは分からなかった。
蝉はただたださわがしく、その音は変わらず青い空に吸い込まれていくだけだった。
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