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時間をかけて火を通し、柔らかく仕上げました。

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手は伸ばせないつかめない/氏綱実堯
「氏綱君は私の事あまり好きじゃないでしょ、わかるよ」
 縁側に座り、猫と遊びながらそんなことを言う。その表情は、見えなかった。


 暑い日だった。外を歩けば湿った潮風が絡みつくのに、刺すような日差しで、汗も蒸発しそうだった。
 眼下には青い海が陽の光を反射してきらめいている。氏綱はそっと汗をぬぐい、門をくぐった。


 屋敷に入ってしまえばなかなか快適で、上手く風を入れるのはさすがと氏綱も感心する。
「暑い中、大変だったでしょう」
 微笑みながら先程運ばれた茶を差し出すのは、里見実堯、敵を同じとして協力する相手だ。しかし自分は決して味方ではないのに、その表情や対応があまりにも無防備だと何かにつけて思う。
 もてなしの冷茶は素直にうれしいが、些か緊張感にかけるなと、いつもと変わらない感想を抱いて、自然眉間にしわが寄る
「そろそろ、義豊くんたちが騒いでいるみたいです」
 世間話をするように突然、本題に触れる。眉間のシワが深くなる。中身を飲み干して空になった茶碗を置いた。
「…そうか」
 氏綱は今自分の目の前にいる人物が少し、苦手だった。
 いや、苦手という言葉でくくるには少し複雑な気持ちを、抱いていた。
 自分が彼を騙そうとしているのが、なぜだが後ろめたくなるのだ。


 里見実堯という人物は、関わり始めた時から、氏綱からしたらとても甘いように見えた。警戒心や野心の感じられない態度に、不満さえあった。
 北条にとっては、里見がうまく二つに割れてくれれば好都合、実堯の力などどうでもいい、そう言い聞かせてやりとりを進めたけれど、違和感はぬぐえない。
 北条の思惑はどうあれ、里見としては、今から家督を奪おうという、いわば下剋上を遂げようとしている。それなのに、それだけの警戒と猜疑が微塵も見えない。
 その素直さも愚かさも、今まで見てきた人々にはないもので、氏綱を戸惑わせた。
 無防備な笑顔や表情を見せられるたび、違和感に心がざわめいた。これを巻き込むべきだったのかという自分らしくない煩悶さえ生まれて、随分苛まれたような気がする。
 なぜ疑わないのか、なぜ警戒しないのか、なぜそんなに無防備なのか。このままでは。
(このままでは?)
「もうすぐ、ですね」
 まるで他人事のようにいう、実堯の声に、はっとする。相変わらず油断まみれの実堯は、氏綱に背をむけて、縁側にすわり猫を抱いた。
「氏綱君は私の事あまり好きじゃないでしょう」
 風がすっと部屋を吹き抜けて、潮と日差しで傷んだ実堯の髪を優しく揺する。
 海辺で育ったにしては澄んだ肌が太陽に照らされて、透けて消えるように見えて、暑いはずなのに背筋が冷える様な感覚がした。
「そのようなことは、」
思わずその背中に手を伸ばしかけてはっとする。無意識の自分の動きに気を取られて、反応が遅れた。
最初は好ましくないと、思っていたはずなのに、どうしてか彼の言葉を否定したくなる。どうなってもいい相手のはずが、自分に嫌われていると、そう思わせておくのが酷く、つらい。
「そのようなことは」
 なぜ自分はこんなに必死に否定しようとするのか。それでいて、今までしてきたような適当な世辞で片づけることもできずにいるのか。
 氏綱の困惑を見透かすように、ふふ、と笑い声だけが聞こえた。顔は、見えない。
「でも私は昔から氏綱君に憧れていたのだよ」
 氏綱の話を聞いているのかいないのか、突然の告白を始める。
 なんとなく感じてはいたけれど、そんなことを今言われても、困る。氏綱の困惑をよそに、返事はもとより期待していないらしい実堯は一人で続ける。
「ううん、今も、憧れている」
氏綱の代わりに膝の上の猫が鳴く。猫の瞳に映るであろう、彼の表情が気になって仕方がない。
「君は強いから」
猫は鳴かなかった。
 生まれた沈黙にまた、優しく潮風が吹き付けて、さわさわと木々の揺れる音がする。それが止む頃に口を開いたのは、また、実堯だった。
「大丈夫、私の役目は理解しているから」
 その言葉に目を見開く。役目とは、そんな話をしただろうか。あくまで協力して、義豊を、倒すのではなかったか。
「だけどもう氏綱君とお話しできなくなるのはさみしいな」
 にゃぁ、と氏綱の代わりにまた猫が返事をする。一瞬で違和感が解けていくのがわかった。
 あぁ、彼は気がついていたのか。氏綱の目論見に。だからあんなに穏やかに笑っていた。利用されていることを、知っていたのだ。
 そして氏綱の知らないところで、自分の命を捨てる覚悟を、していたのだ。
「騙されたなんて、思っていないよ」
 氏綱の困惑さえ見透かして、実堯がこちらを振り向く。顔半分に夏の日差しを浴びて、その顔には恨みなど微塵もなかった。
 それが逆に、つらい。

「息子を、義堯をよろしくお願いしますね」

 そう言って、微笑んだ、その表情は、美しかった。
 滲んでいた違和感は彼の覚悟だった。疑うはずも、警戒するはずもないのだ。死ぬつもりでいるのだから。いつの間にか惹かれていたことに気がついた時にはもう、遅い。
 このままでは、実堯は、命を捨ててしまうだろう。しかし救い出す手差し伸べるには、もうなにもかも遅いのだ。

「もちろんだ」

 氏綱は、こらえるように膝においた手を強く握り締め、そう返事をするしかできなかった。

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