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grille

時間をかけて火を通し、柔らかく仕上げました。

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やみのなか / 村官
馬のいななきが聞こえた。
 来客の予定もないのに、それは確かに自分の屋敷の門外から聞こえていて、荒木村重、もとい道薫は腰を上げた。
 もう、随分寒くなった。
 戸を開けて門に進めば冷たい空気が頬を撫でる。青く澄んだ空は山に向かって赤く染まる。夕暮れは近い。
 蹄が地面をたたく音が数度聞こえて、止んだ。その上から聞こえてきた声は、予想通りの音をしていた。
「もし、少し手伝ってくれませぬか」
 連絡なしに押しかけたものとは思えない、堂々とした、しすぎたその態度。
「また、一人で来たのか」
 馬を一人で降りられないのはお前のせいだと言われているような気がするのは、自分の思い過ごしだろうか。
「えぇ、一人の方が何かと動きやすくていい」
 馬から降りようとするのにそっと手を添えれば、彼の身体は冷えていた。
「貴方もご存知でしょう」
 そんなことを言って、笑う。以前酷い目にあわされた人間に体重を預けて、賢い彼が何を考えているのかなど分からなかった。
「官兵衛…」
「お手紙にもしたためた通り」
 どんな局面でも余裕を失わないこの表情を、ついに乱すことはできなかったあの日を思い出す。
「思い余って会いにまいりました」
 二人の間に吹く風は冷たいのに、眼差しが熱くて寒さを忘れた。

***

 狭い茶室に大人の男二人入ってしまえばもう随分狭かった。窓も小さくただでさえ薄暗いそこは、夕暮れ前に、まるでこれから水底に沈む船のような不思議な暗さがある。
 沈黙の中に、さ、さ、と茶筅の音だけが響いていた。その音もやがて止まって、音もなく差し出された茶碗も暗い色をしている。
 薄暗い茶室に輪郭が溶けてしまいそうで、見失う前に手を伸ばせば、思っていたよりも暖かくて、官兵衛の冷えた指を温めた。
 茶碗を顔に近づければいい香りがして、口に含めば苦かった。それでも暖かさが嬉しくて飲み干せば、腹の底がぬくぬくして心地よかった。
 ときおり木々の間を吹き抜ける風で枝葉が乾いた音をたてる。窓の外を仰げばもう随分朱い。
「寒くなりました」
「あぁ」
 ようやく聞こえた低い声に安心する。顔を見れば、喜怒哀楽の読めない無表情だった。
「お加減はいかがですか」
「おかげさまでこの通りだ」
 ようやく、すこしいらいらした様な気分をその言葉に見つけて、変わっていないなと少し安心する。
「それは、何よりです」
 外は次第に暗くなっていくから、最初淡く見えていた影が少しずつ輪郭を失っていく。
「家の奴らは知っているのか」
「今頃血相を変えてこちらに向かっているでしょうな」
 笑顔でそう返事をすれば、硬かった表情が少し緩んで、呆れた、と言うような顔をした。
「またお前は、」
「そうでもしないと」
 それまで微笑んでいた瞳にきりっと力を込めて、見つめ返す。睨み付けるような眼差しに、応じる道薫の瞳の中にもめらりとわずかに炎が宿ったようだった。
「私は貴方に会えない」
 外で鳥が鳴く。日は沈んでいく。もうしばらくしたら、きっと迎えが来る。
 ほんの数刻ではあるが、ここには二人しかいないのだと、それを伝えたくて、瞬きも惜しんでその瞳を見つめた。
 諦めたようにため息をついた村重は、一度立ち上がり、膝と膝がぶつかるくらいのところに、座した。
「痛むか」
 道薫の右手が、官兵衛の左足に伸びる。布越しに伝わるごつごつとした体温が懐かしかった。
「もう慣れました」
 そう言って道薫の手に自分の左手を重ねれば、それまで曲がらない足を見つめていた顔がこちらを向いて、その表情はらしくなく情けなく歪んでいた。
「そうか」
 言いながら、今度は左手が頬に伸びた。先ほどと同じように官兵衛は、その左手に自分の右手をそっと重ねた。
 冷えた部屋の中で、重なった部分だけがじわじわと温度を上げていく。
「謝らんぞ、俺は」
 絞り出すような声で、顔をゆがめて、優しく触れながらそんなことを言う。謝らないのは罪の意識がないからではないことは分かっている。
 許されることを酷く恐れているのだと、知っている。
「私だって、許したりはしない」
 重ねた手はそのまま、見つめ合う。かすかに甘い体温を分け合って尚、謝らないこと、許さないことが二人をきっと永久にも繋ぐ。
 どちらともなく、顔を近づけた。もう部屋はすっかり暗くて、目を閉じても景色は大して変わらない。
 唇と唇が優しく触れ合った。それは重なったどの部分よりも熱かった。
 そのせいで、離れたらその瞬間に冷えて乾くような気がして、もう一度重ねた口付けはさっきより深い。抹茶の苦味を道薫の舌がさらっていくせいで、随分甘く感じる。
 水底に沈んだように暗い部屋で、お互いの吐息を奪い合う。しかし離れがたくても、水中で呼吸などできないのだ。
 近づいた時と同じように、どちらともなく、名残惜しげに唇と唇は離れていく。目を開くと、闇に溶ける寸前の境界線が消えそうに揺らいでいる。
「苦いな」
 離れた道薫の口からそんなささやきが漏れる。その顔はようやく、見慣れた意地悪な笑顔だった。
 つられて、顔がゆるむ。私は甘く感じましたよとそう、冗談でも言おうと思ったその時だ。
「来たか」
 門外が俄かにざわめく。その時、何事もなかったかのように離れていく道薫の体を、追いかけることはできなかった。
「そのようすね」
 外に出れば、もう星もきらめくだろう。松明もある。きっとこの部屋より随分明るいのだろう。
 もうここから出ていかなければいかないと二人とも分かっているのに、座ったままどちらも動かなかった。
 このまま二人は闇に溶けてこの部屋は空になる。そんなことを考えながら、ざわめきの到来を待つのも悪くはなかった。
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