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手を取り合うような未来など / 北条里見


 暑い日だった。海風はじっとりと湿って、夜になっても引かない熱が体に絡んだ。増していく苛立ちを拭うすべもない。
 里見義堯は、帰らぬ父を待っていた。当主である義豊に呼ばれて出て行ったまま、帰城の予定はとうに過ぎた。嫌な予感だけでも落ち着かないのに、まとわりつく暑さに首を絞められているような気分だ。
 義豊が父の実堯を良く思っていないのは明らかなことだった。自分よりも才能も人望もある人間が下にいて、焦らぬ人間などいないだろう。まして、そんな人物が仇敵と接触していると知ったならば。
 だが、義堯は信じたかった。自分の主である義豊がそこまで愚かな人間ではないと。
 父はまだ、生きているのだと。
ちっ、と舌打ちをしたその時、俄かに騒がしさが近付いてきた。思わず立ち上がると、向こうから駆け寄って来る家臣は顔面蒼白。その顔に焦りを滲ませていた。
「義堯様!」
 その声も悲壮感に満ちている。あぁ、駄目だ、と心のどこかが悲しみの支度を始めるのを感じた。
「実堯様が、実堯様が!」
 握りしめた手のひらに爪が食い込む。ひびが入りそうなほど奥歯を噛みしめる。最後に聞いた父の声が頭の奥に響く。
『留守は頼んだよ』
 あの時きっと父はこうなることに気が付いていた。自分もそれに気が付いていた。
しかし、だからといって何ができただろうか。行くなとも言えない。城を留守にもできない。自分は城を守りここに居た。それが最善だと信じているし疑ってもいないが、自分がどうにも身動きが取れないでいるうちに父親が殺されたという事実に何も思わないでいられるわけがなかった。
 生きて帰って欲しいと願うことくらいは、許してほしかった。
(父上…)
『私の留守中に何かあったら』
 頭の中で響くのは、城を出る前の父の言葉だ。今、ようやく、それまで霞がかかっていた、父の見ていたのと同じ景色が見えた気がした。
父が自分の死の向こうに見ていた景色だ。今自分が成し遂げなければならぬことだ。
『彼によろしく伝えておいてくれ』
「ほう、じょう」
 口をついて出たその名。先代から二代で随分大きく成長して、今やこの一帯で知らぬものなどいないだろう。
 父が今の当主と関わりを持っていたのは知っている。というよりかは、北条の方からこちらに歩み寄りの姿勢を示していた。
北条は勢いよく勢力を広げているから、義豊が邪魔なのは明らかだった。結局、北条に利用される形で父がその命を犠牲にした今、こちらもその力を利用せねばなるまい。
 瞬きも忘れていた瞼をそっと閉じる。ぎゅ、と強くつむって、再びかっと開いた目に映る世界は澄み切って見えた。

 

 二

 暑い日だった。夜だというのに冷めない空気は、しかし雨の日のように重苦しかった。
 北条氏康は珍しく歪んだ父の横顔を眺めていた。さっき入った知らせを聞いてから、怒るような、悔やむような顔をして押し黙っている。
 里見義豊を抑えるために、父が里見氏の中で力をつけている里見実堯らに接近しているのは知っていた。しかしだ、父がこんな顔をする理由は分からない。
 決して冷徹な男ではないが、父ならこうなることも予想できていたはずだ。当主に隠れて仇敵と通じている人間が殺されることなど、今の時代なら日常茶飯事、むしろこうなることを見越して父が実堯に目を付けたのだとすら、思っていたのだが。
「父上、」
 義豊によって実堯が殺されたという知らせを受けてから、顔を歪めたまま微動だにしない父に声を掛ける。知らせを持ってきた者をはじめ、侍る家臣はその指示を待っている。
「父上、いかがなさいますか」
「こちらからは動かぬ」
 眉根を寄せたまま、そう呟く声は大きくないのに、そこに居る全ての人間が待ち構えた言葉だからか、良く響く。
「義豊はこの後、上総金谷城を攻めるはず」
 自分たちの今後の挙動は、今金谷に残る息子、里見義堯の出方次第だと、父はそう言った。
「戦の準備は怠るな」
 しかし、その声は、必ず援助の求めがあることを言外に伝えていた。
渋い顔はそのまま、油断しないようその場にいる家臣たちを一睨みして、話は終わる。部屋を後にする彼らと一緒に立ち上がれないのは、父のその表情が胸につかえるからだ。
「里見実堯というのは」
 どんな男でしたか、そう尋ねると父はようやくこちらに顔を向けて、より一層眉間の皺を濃くした。
「お前は見たことがなかったか」
 尋ねられて記憶をたどる。見た目はなんとなく思い出せはするが、武功の噂の割に凡庸な容姿で、武人という気がしなかった印象くらいしか残っていない。
「見たことはございます、が」
 ふう、と息を吐く音が聞こえてその表情をうかがうと、眉間の皺を僅かに薄くして、苦く微笑んでいた。
「不思議な男だったよ」
 その声が優しくて、確かにそうなのだろうと思う。父にこんな複雑な顔をさせる人物が他にいただろうか。
「息子の義堯を知っているか」
「名前だけなら」
 里見氏の傍流の息子だということしか知らないが、実堯の息子ならばそれなりに才能はあるのだろう。何せ、父がその動きを待つと言った人物だ。
「父を亡くした今、あれがこれからどんな動きをするか」
 そう言う父の瞳が、映していた火の灯りが揺れたせいだろうか、まるで涙をこらえているようにみえた。
「よく、よく見ておけよ」
 その声色がなぜか懇願のように聞こえて、深くうなずいてしまう。
 一人にしてくれ、という声に部屋を後にするとき、父の声で、今はもう亡い人の名を囁く声が、闇に溶けていくのを聞いた気がしたけれど、気のせいかもしれなかった。




「父が死にました」
「あぁ」
 盛りを過ぎたとはいえまだ残る暑さがあるのに、そんなもの感じさせない爽やかな笑顔で彼は言った。北条の家督が三代目に移ったことを、知らないはずはないのに。
「北条の当主様が、こんなところまでご苦労なこった」
「奇しくも」
 嫌味に挑発されてはくれないらしかった。余裕のある顔が鼻につくのだ、昔から。
「義堯殿と、父を亡くした齢が同じになりました」
 その言葉で思い出す、父を亡くした日。戦いの、始まりの日。
思い出さないようにしていた記憶の、その扉をこじ開けられたような気がして、睨み付けた顔は穏やかに微笑んでいた。
「父は貴方を気にかけていましたよ」
「恨んでいた、の間違いじゃないのか」
 あの後、北条の力を利用して家督を奪い取って、すぐに背いた。今だって、安房は北条の傘下でもなければ、和睦もない。
 それなのに、敵地にいて、まるで本拠にあるかのような余裕がいつだって義堯を苛立たせるのだ。まるでお前など眼中にないとでも言われているようで。
「今、ここで殺されたって、お前に文句は言えないぜ」
 膝で距離を詰めて、持っていた扇子を首筋に当てた。もしこれが刃物なら、命だって奪える。
 しかし、氏康は抵抗も困惑もなく、扇子を持っている義堯の右手首を掴んだ。その力だけが予想以上に強い。
「でも貴方は私を殺さない」
 耳元で聞こえた声が背中を震わせて、引こうとした腕が離れない。
「それに」
 睨み付けようと思って合わせた瞳が予想以上に近くて。
「貴方に殺されるなら」
予想以上に熱く燃えていた。
「戦場でなければ」
 瞳の奥のじっとりとした炎に、なぜこの身体は甘く痺れるのだろう。
(あの時からだ)
 初めて目が合った時、なかなか目を逸らすことができなかった。戦う姿を見た時、その姿に見惚れてしまいそうになった。戦う彼の瞳を見つめた時、自分がこれから何のために、誰のために戦うのかも忘れそうになった。
 気を抜けば、すぐに奪われ失くしてしまいそうだった。父の遺した里見の名も、矜持も、対等な関係も。
 だから選んだのだ、抵抗を。
 腕を思いきり振り払えば今までの拘束が嘘のように離れた。
 姿勢を正して距離を取ると、今度は向こうから近づいてくる。後退るのが悔しくてそのままの姿勢を保てば、鼻先が触れる距離に相手の顔がある。
「これから、宜しくお願いしますね」
「やなこった」
 もし自分たちに、北条の当主だとか、里見の当主だとかそういう立場がなかったらどうなるのだろう。
 考えるのも忌々しくて、目を閉じる。
 なのに、瞼の裏、初めてその姿をこの瞳に映した時の感覚を未だ忘れることもできないで。
 手を取り合うような未来など、ないというのに。
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