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これは恋じゃない
まして愛なんて呼べるシロモノじゃない
征服欲か性欲かわからない
どちらにせよやることは変わらない
Good night, loser.
二人が姿を消して、どれくらいの時間が経ったのだろうか。
消毒液の匂いは、ここが病院であることを嫌でも思い出させる。アルコールの清潔さと、何かの腐臭の混ざった臭いを感じたくなくて口でばかり呼吸をしていたせいだろうか、唇が渇いて仕方がない。なのに、上半身を起こして視線で探したコップの中には、何も入っていなかった。
身体を包む白いシーツは清潔で、痛みも随分落ち着いた。それなのに、すう、と深呼吸をするたび、胸が苦しいのは何故なのだろうか。
「調子はどうだい?」
「……ッ」
ふいに聞こえてきたその声は、穏やかで優しい。けれどまだ、まだ慣れなくて怯えてしまう。
紫色の長い髪からは、揺れるたびに花のようなにおいがする。その香りで少しだけ落ち着く気がするのに、すぐに消毒液の匂いに枯らされてしまうから結局不安は据え置き。
すらりとした指が空のコップに伸びて、おおきな薬缶から温かいお茶をそっと注ぐ。差し出されたそれを受け取ると、指先がふわっと温まる。
「いちにぃ、は」
俯いたままの視界の隅で、紫色がゆらゆら揺れて、きっと首を横に振っているのだろう。
「一郎君もニ郎君も、こちらには戻っていませんよ」
もう何度目かの、残念なお知らせ。期待はしていなかったはずなのに、その返事を聞く度に心が沈んでいく。コップの中で揺れるお茶に舌先を浸せば、適温だった。
火傷するくらい熱い方が、それを理由に苛立つこともできるのに。
最後の記憶は敗北。テリトリーを奪われて逃げ込んだのは新宿。最初は三人一緒にいたのに、気が付いたら一郎が姿を消していた。
「取り戻してあげるから」
きっと、その後を追ったのだろう。怪我の治らぬうちに、今度は二郎が姿を消した。
長い間離れることなんてほとんどなかったから、寂しさは早々に慢性化した。低調な気分は時間の経過を正しく認識できないでいるから、二人がいなくなってどのくらいの時間が過ぎたのかがわからない。
「君はここから出てはいけないよ」
「……」
できることなら、今すぐにでも二人を探したい。しかし今ここから外に出れば、いつ誰に何をされるかはわからない。怪我も十分に癒えていないのに無謀なことをすれば、他でもない、誰よりも大切な家族を、兄弟を傷つけることがわかっているから、動けない。
明らかな敗北を経験してしまった今、否定しようとすればするほど、自分は子供だと、被保護者であることを思い知る。
爆音の罵倒、獰猛な視線、威圧する姿勢、こわいおとなの低い声が聞こえてきそうで、思わず耳をふさぐと、花の香りに包まれる。
「大丈夫かい?」
安らぎを覚えながらも、それさえ弱さの証明に思えて、奥歯をかみしめたとき。
「神宮寺先生、失礼します」
病室の扉が開いて、頭を撫でてくれていた手が止まる。
「来客です、アポはないそうですが、横浜から……」
「失礼」
割りこむように聞こえた声に顔を上げたとき、こちらを射抜くその、ガラスみたいな冷たい青さは。
「……あ、」
瞳の色だ。
「小官のことを覚えているだろうか」
爆音の罵倒、獰猛な視線、威圧する姿勢、こわいおとなの低い声。
「……え、あ、どうして」
忘れられたなら、どんなに良かっただろうか。
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「本当に、気持ちが良いくらい馬鹿なガキですね」
声は鋭利に冷たく響き、部屋に満ちたタバコの匂いをかき混ぜる。不本意な仰向けの姿勢、まだ癒えていないわき腹の青い鬱血をぐう、と押されて、あぐ、と情けない声が出た。
手袋を外すとその手はひどく冷たくて、でも、どうしてだろう。無機質な布の肌触りよりは、幾分かマシなような気がするのは。
「あ、やめ、んあぁ」
しかし、自分の喉から出ているとは思えない粘ついた嬌声が思考回路を引きちぎるから、その理由はもう探せなかった。
「自分に何か、できると思っていたんですか」
「ん、あ˝」
体のありえない部分が、ありえない使い方をされて、ありえない感覚を生んでいる。この拷問みたいな時間が始まって、どのくらいの時間が経ったのだろうか。
「負けた相手のアジトに満身創痍で飛び込んで」
せめて自由になる口で罵倒を浴びせかけたいと思うのに、頭が真っ白で何も思いつかない。ばちん、と思い切り腰を打ち付けられれば両目の奥で火の粉が飛んだ。
「無事で済むとでも思っていたのか?」
そんなの俺が聞きたい、と思った。正直に言えば、何も考えていなかった。ただ兄を取り戻したい一心だった。信じて待つとか、他のやり方を考えるとか、そういう能力があればよかったと思った時にはもう遅かった。
「左馬刻にネズミ退治を押し付けられた時は腹が立ったが」
いつの間に、忘れてしまっていたんだろう。この世界には、悪い大人が掃いて捨てるほどいるということ。自分たちが敵に回したのが、その中でも質の悪い奴らだったことを。
もしかしたら、心のどこかで甘えていたのかもしれない。“尊敬する兄がかつて尊敬していた男とその仲間たちが、卑劣な行為をするわけがない”なんて。
「捕まえてみればなかなか、良い声で鳴くワンちゃんだ」
クスリは使っていないはずだが随分良さそうじゃないか、だと?そんなわけあるかと否定したいのに。
「い˝っ……」
喉から漏れるのは嗚咽にも悲鳴にもならないおかしな音ばかりだ。
兄の足跡をたどり、MTCの拠点に足を踏み入れた俺を待っていたのは入間銃兎だった。潔癖そうな手袋の指先で、必要以上に磨かれた眼鏡のブリッジを上げて、見下ろす瞳はあの日と同じ。怪我が十分に癒えていない状態ではロクに抵抗などできる訳もなく、慣れた手つきで拘束されたときも、でも、まさかこんなことになるとは思っていなかった。
いっそ、リンチを受けて瀕死に陥るくらいの方が、現実的な妄想だった。
“流石に、殺人犯にはなりたくないですからね”
何人か殺していそうな凶悪な笑みを浮かべながら、着ていた服は刻まれた。
“ズタズタにするのはプライドの方にしましょうか”
お気に入りのシャツはきっとただの布切れになって、部屋のどこかに落ちているだろう。
「公式戦で負けてなお、噛みつきに来るなんて」
言いながら入間が前かがみになる。下半身を繋げたままだから、男の一部が一層深く沈みこんで下腹部が痛むほど苦しい。
「もっと辱めておけばよかったかな?」
「ひぐっ」
わざとらしすぎて寒気さえしそうな、子どもあやすような甘い声、耳朶から鼓膜に直接流し込まれる振動。
自分を口汚く罵倒するためにあるかのような声帯。頬を撫でる仕草さえ、まるで子供や小動物にするように優しく、優しければ優しいほど屈辱的だ。
「はやく」
それなのに。
「はやく絶望しなさい」
(あ、また)
ときおり瞳の奥の奥に、例えば兄が見せるような慈愛が滲むのを見つけてしまうのは何故だろう。
瞳の色が緑色だから?
自分の中にある“馬鹿”で“ガキ”な、自分の無邪気な部分がまだ、入間銃兎という人間を憎むのを許してくれない。
「望みを手放せば、楽になりますよ」
悪者ぶって痛めつけて、警告する。“悪い大人に近づくな”“戦いの世界に身を置くな”と。自分のしている最低な行為に傷つきながらこの人は俺を犯している。
「あ、あ˝」
本能がそれに気づいてしまうから、どんなにひどいことをされても俺は絶望“できない”のだ。
「ぜつぼ、なんて」
だってお前気がついていないのか?与えられるのは快楽ばかりだ。痛みしかない方がいっそ楽だった。
「してやる、も、んか、アぁッ!」
口ではしきりに俺を傷つけようとするくせに、その手は気持ち悪いくらいに、優しい。こんなヌルい拘束じゃぁ何時間続いたって耐えられてしまう。
「……ックソガキめ」
この甘い拷問が終わった時、俺はどうなっているんだろうか。しかしそんな思考もまた快感に押しつぶされて、ここにはもう二匹のケモノしかいなかった。
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固い床についた手のひらとひざが冷たく痛む。まさか自分が、床に額を擦り付けるような姿勢になる日が来ようとは。少しでも気を抜いたら理性が失せて、今自分を見下ろす男に殴りかかってしまいそうだから、出来るだけ脳の動きを止めた。
「……俺のことは、どうしてくれても構わねぇ」
ハァ、とわざとらしいため息の音が聞こえる。顔を見なくても、男がどんな顔をしているかは分かる。この上ない屈辱、恥辱。負けた男につける格好が無いのはもちろんだがしかし、負けを認められない男はもっと情けないのだ。
「だから……」
テリトリーバトルでの敗北のあと、のこのこと池袋に戻れるはずもなく寂雷を頼ったのは正解だったとは思う。しかし分かりやすすぎる逃避先が相手に割れないはずもなく、早々に“お迎え”が来た。
「弟には手を出さないでくれ」
簡単にその条件をのんでくれる相手ではないことは分かっている。でもそれが譲れない一線である限り、こうして頭を下げることも辞さないという覚悟を見せるのは、ひとつのケジメのつけ方だと、思っていた。
「……ハァ」
嗅ぎ慣れていたはずのタバコの煙がどうしてこうも鼻につく。返事のないのに焦れても顔を上げないのは、そういう“作法”の必要な相手だと“知って”いるからだ。
ゆったりとわざとらしい足音の後、視界にブーツの黒い爪先。憧れて買った同じブランドの靴を靴箱の奥にしまい忘れていたことを、どうして今思い出すのだろう。
「ちげぇだろ」
囁くような声のあと、左手のすぐ横に火のついたままの煙草が落ちてくる。
「違ぇだろ一郎ォ」
じっと見つめていた黒い爪先に顎をすくわれて、無理矢理に顔を上げさせられる。
見下ろす瞳は、燻る煙草と同じ赤色に光っている。
「俺がしてぇのは貴様んとこのガキの話じゃねぇ」
その奥に、青い光をたたえているのを知ったのはいつの日だったか。昨日のことだったようにも思えるし、生まれる前から知っていたような気もした。
「コッチの世界で立ちまわってる俺らに」
“さまときくんがのぞんでいるものがわかるかい?”
いつか誰かにそう聞かれたときは、質問の意図すら理解できずに首を傾げたけれど。
「中坊だの高坊だのが勝てないことなんて馬鹿な貴様でもわかるだろうが」
今同じことを聞かれたならば、何も言わずに頷くだろう。
「ガキどもかばいながら撃ったライムで俺が倒せるとでも思ってやがったのか?」
舐められたもんだぜ、と吐き捨てながら身を翻す。黒いブーツが遠のいていく。その声に含まれた“悲しみ”を嗅ぎ分けられるのは、きっと世界で自分だけだと思う。
「本気のお前とやれねぇ勝負に意味なんざねぇんだ」
きっと道を違えたあの日からずっと、“仲間”ではなく“敵”として正面からにらみ合う日を待っていた。
「マイク出せ」
自分も、左馬刻も。
「マイクだせっつってんだこの野郎ォ!」
左馬刻が何かを蹴り飛ばし、ガチャンと大きな音がする。何かの破片が一郎の頬にパチンとぶつかって、それを合図に立ち上がる。
身長は並んだはずなのに、どうしてまだ、自分より大きく見えるのか。
「俺が勝ったらお前、俺のところに来い」
結局殺せなかった憧憬、昇華できなかった劣情、手放せなかった支配欲。
「お前が勝ったら、そうだな」
忘れたふりを続けていれば、本当に忘れられると、思っていたのに。
「このマイクの代わりに、貴様のイチモツに右手添えて」
心にもない、下品な言葉を並べて挑発する。
「扱いて、しゃぶってやるよ」
その舌の赤さは、昔とちっとも変わらなかった。
ブオォォォン
響くのはマイクの起動音ふたつ。後のことなんてもう何も、考えられなかった。
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