"創作戦国"カテゴリーの記事一覧
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なりかけの秋が嫌いなのは、決まって同じ夢を見るからだ
夢喰い
悪夢はいつも、ギチリと締め付けられた腕の痛みから始まる。歯を食いしばりながら何度か瞼に力を込めてこじ開けるように開いた双眸にまず映るのは、汚いござに膝まづく、情けない自分の両膝だ。
「……は、」
息を吐くと、締め付けられているのが腕だけではないことに気が付く。胸元を見下ろすと、何重かになった縄が食い込んでいた。顔を上げなくてもわかる。ここは〝あの日〟の門の下だ。行き過ぎる知った顔をひとつずつ見送るうちに不思議と心は凪いで、こんな醜いこの世に未練などないと、心の底からそう思うまでの儀式の半ば。
自分が拘束されていること、そしてその理由に思い当って、今度は肺が膨らんで縄を押さないようにふ、と小さく息を吐いた。
この後何が起こるのか、自分は多分知っている。多分、というのは、いつだってこの悪夢は、通り過ぎてからああそうだったそうだった、と答え合わせのように時間が過ぎていくからだ。
そう、これは本当は夢などではない。遠いいつかの記憶なのだ。
ざり
履物が土を強く踏む、怒りに満ちた足音がする。すると無意識に身体がよじれて、逃げることなどとうの昔に諦めているはずなのに。居心地悪くてもそもそと動くと、ぎち、と尚も食い込む縄の、ささくれが肌に刺さって痛い。
ジリ、とひとつ音がして、止まる足音。視線の先に現れるのは、見慣れた、そしてひどく懐かしい爪先がふたつ。
(……くる)
何かを、覚悟した。きっと今から自分は、罵詈雑言を浴びるのだ。それを追いかけて、唾棄する仕草、軽蔑の眼差しがこの身を射るのだろう。
無抵抗に襟ぐりを掴まれ、首を、頭を揺さぶられ、酷く罵られる。自分はそれに酷く精神を摩耗させられて、それなのに、少しだけ、ほんの少しだけ、この生命を散らすのが、酷く惜しく思えてくる。要するに未練だ。捨てかけた未練が甦るようなことを言われて頭にくる。
そんな、これ以上ない不愉快が来ると、覚悟していた。
(……)
しかし、どうしてだろう。いつまで待っても、脳裏に翻ったのと同じ声や言葉や視線が降ってくることはなかった。代わり、膝のすぐそばに、何か雫が落ちてきた。
ぱた
雨など降ってはいないはずなのに、ちょうど目線の先に小さな染みができるさまを眺めた。一体、何がと思って顔をあげるとき、何の予想もしてはいなくて。
(……は)
あるはずだった鋭い眼差しと、軽蔑するために歪んだ眉のかわり。
(どうして)
無駄にぎょろりと大きな両目から、ぱたぱたと何かが流れでいた。
(お前が泣くんだ)
「ごめん」
声が聞こえた瞬間、その面立ちが酷く幼く形を変えた。流石夢、変幻自在の光景のなかで、彼はだいたい、齢十八といったところか。はらはらと、それはらしくもなく涙を零してそれを止めようともしない。まるで堰が壊れた川、留めるものを失くした水が暴れて溢れるような、豪快な涙だった。
「ごめんな」
こころのどこかが〝今更〟と言った。しかしそれは声にはならなかった。
伸ばされた両腕は、掴むはずの襟元を通り過ぎた。まだ少し、ほんの少しだけ柔らかさを残したしなやかな両腕が首に絡むと、自然、視界がふさがれた。
獣のような匂いはしなくて、花のような、やたらと甘い匂いがするのが不思議だ。
知らぬうちに、胸と腕を圧す縄の拘束がなくなっていたのに気が付いたのは、自分の腕がその未だ頼りない背中に、勝手に伸びていったから。
夢のくせに、その身体は酷く熱くてじっとりとした。
吐息が耳に触れた。
「ごめんな、」
聞こえた声は、小さかった。
「――――――――――――――」
(……全くだ)
瞬間、景色が崩れた。足場も失って、ただ暗闇に落ちていく。ただ、その間もまだ育ち切らない腕は自分の頭を抱きこんで離さなかったし、その背に回った己が腕も、それを放そうとはせずに。
(……これで、終わりか)
ただ、二人で落ちていくのを、何の恐れもなく受け入れていた。
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柔らかい日差しに瞼を撫でられたのを感じて、促されるようにゆっくりと瞼を上げる。ぼんやりとした視界から蘇ってくるのは、今生の感覚だ。
一人暮らし用の賃貸物件。一人用の寝床が狭く感じられるのは、そこに一人ではないからだ。
(……あぁ)
昨晩は遅くまで酒を飲んでいたのだった。一人で酔っぱらったのを放って布団に入ったことをしっかりと覚えているし、身体に酒も残っていない。床で寝ておけと言ったのに、こいつはいつも他人の布団に潜りこんでは寝息を立てる。
(まさかな)
前世が夢か、それともこの今生が夢なのだろうかと、未だに頬をつねってみたりすることがる。一度は命のやり取りをした相手の横で、こんな風に寝こけるやつがいるか、と。
(平和だ)
二度目の人生の自覚をしたときから、もう、出会わないと思っていた。出会うものかと思っていた。忘れたつもりでいた。でも出会ってしまった。忘れることなど、出来なかった。
「いちまつ」
呼べば、懐かしさで気が触れそうになる。
なぜあんな夢を、と思う前に、なるほど道理でと一人合点した。
日差しは温もりを残して、しかし吹く風は次第に冷えていく。
今生で、初めて二人で過ごす秋だ。
〝さきち〟
もう誰も呼ばぬ名でよばれたそのとき、振り向かなければ良かったか。しかし、それでも足は止まったし、首は勝手に動き、声のした方へ振り向き仰いだ。
〝さきち〟
目と目が合った瞬間に後悔をしたのはきっと、そのときはっしと、今再びの縁が結ばれてしまったことを心のどこかが理解したから。
まだ幼さを残した瞳を潤ませて駆け寄るその身体を、伸ばされる腕を、知らないふりで拒めばよかったかと何度思っても、もう出会う前には戻れないのだ。
〝――――――――――――――〟
泣きながら縋る彼はあの日、今見た夢と同じに何度も謝罪の言葉をくりかえして、そして同じことを言った。耳元でささやかれた言葉に、返事をしなかったこと、少し心にとどまっているから、あんな夢を見たんだろうか。
「……今度は」
今生でもまたいつか裏切るのだろうか、そして裏切られるのだろうか。今度こそ分かり会えるのだろうか。それともまた、寄り添うことは叶わないのか。
それはわからない、けれど。
「今度はちゃんと、殺せよ、俺を」
せめて最後は、終わりだけはと、願ってしまうのは、弱さだろうか。
「ん、ん~」
何の夢を見るのだろうか、もごもごと口元を歪ませる。今度はお前が、悪い夢でも見ているといい。
なりたての秋の、いつかの悪夢も。
「起きろ市松」
きっとお前なら、食いちぎり、飲み干せるのだろうから。
〝ごめんな、ちゃんと殺してやれなくて〟PR -
氏綱実堯
『触りたい、触れない』
初めて見た背中は乱世にすくっと伸びて眩しく、思わず手を伸ばしそうになったことはきっと忘れない。共に戦えたならとさえ思った。「父上?」まだ遠いが僅かに近づいて今手を伸ばせば触れられるかもしれないけれど「あれが北条氏綱だよ、義堯」きっとそれは許されないから視線だけでも届けばよかった。
『ふたりぼっち』
「二人でいると」
人払いの済んだ小部屋で揺れるのは灯火のみ。
「一人よりも寂しくなるのは、きっと」
内通の話が漏れたと実堯は言った。
「君や義堯のこれからに」
それは別れを意味していた。
「在れないことが悔しいからだね」
「…ッ」
在れる道もと言いかけて黙る。近づく夜明けを憎んでも、星は巡った。
氏康義堯
『届かない距離にいて』
わからない。北条氏の進出を目の前で見てきたから知っている。彼がとても、強いことは。勢力だけ比べたら里見など小さい。なのに戦って生き残っている事実を自分の強さだと奢れるほど愚かではなかった。「舐めんなよ氏康」本気はまだ見えない。命の応酬をしようとするには、まだ届かない距離にいて。
『それ以上は許さない』
「もとより、貴殿の許しなど」
甘えた声と裏腹な視線の獰猛さは正に獅子、義堯の腹の底は嫌な震え方をした。
「乞うてはおらぬ」
骨が割れる程の拘束に抵抗は薬味、有るのと無いのでは味が違う。たとえ結果が同じでも。
そう、侵略者は許しなど乞わない。理不尽に蹂躙する。
忘れるな、お前は俺を侵すのだ。
又長
『守りたいものは』
守りたいものは隣にあったはずだった。最後に見たのは笑顔ではなかった。「後藤殿はいつも空を見上げておられる」真田に言われた時には否定したけれど確かに今俺は空を見ていた。目に移る青さくらいしか、俺とあいつを繋ぐものはもう、ない。"又兵衛"空から声が降ってきた気がして、俺は目を閉じた。
『たとえばの話』
「そんな話はしたくない」
長政の顔がくしゃと歪む。お前がいなくなるなんて。声のか弱さに喜ぶ自分が。
「たとえばですよ」
いつまでも側に居られる筈がない。
「それでも嫌だ」
依存は弱さになり瓦解の引金を引く。そういう時代だ。
「嫌だ」
許されずとも構わない。弟の様な主君の、その安寧だけを望んだ。
清行
『ゆびきりげんまん』
「思い出した」今とは違うかつての人生の約束を。守れなかった約束を。「遅いわ、あほ」今度は忘れんといてな、そう差し出された小指に自分の小指を絡めたら思っていたより暖かい。「あの時代にもこんな遊びがあったら」ゆびきりげんまん、彼の歌声は今世でも柔らかい。「俺に針千本飲ませたか、行長」
『サービストーク』
「煩い」
はて、どこで違えたかと小西は逡巡した。人と話すのは得意なはずだ。凡その齢と、目つきで警戒心、装飾品で価値観を探りつつ相手が気持ちよくなる話題を振って情報を抜く。
「話をするなら」
初見で看破とはこれはなかなか。
「お前の話にしろ」
「つれへんなぁ」
厄介なことに、なりそうだ。
村官
『ひとりじめ』
「随分重宝されているな」「おかげさまで」その顔から、かつての無垢さを奪ったのは。「まるでお前が天下取りをしてるみたいだ」彼は選ばれているふりをして、自分が選ぶ、見極めている。「あのまま、ひとりじめして下されば」誘惑するような声を教えたのは、「貴方が天下、「やめろ」俺なのだろうか。
『運命なんて、くそくらえ』
「これもさだめでしょうか」
官兵衛が言うと村重は思い切り顔をしかめた。虫を見つけたような忌々しげな表情だった。
「そんなもの」
諦めるということのできない男はその言葉をひどく嫌う。
「糞食ら、」
下品な言葉を咎めるようにその唇を塞いでしまう。
「食らうのはいつも私です」
眉間の皺が濃くなった。
石田福島
『運命という罠』
若い衆の笑い声が一際高く響いたとき、篝火の奥に幻を見た。
“市松、貴様本当に阿呆だな”
嘲るような言葉でも許せた。彼の、佐吉の表情がまだ優しかった頃。
「正則」
「…清正か」
刃を向け合う運命の上、あの日の笑顔は心を捕える罠の如く、重く。
「行くぞ」
「あぁ」
踏み出す足の怠さが酷かった。
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一
暑い日だった。海風はじっとりと湿って、夜になっても引かない熱が体に絡んだ。増していく苛立ちを拭うすべもない。
里見義堯は、帰らぬ父を待っていた。当主である義豊に呼ばれて出て行ったまま、帰城の予定はとうに過ぎた。嫌な予感だけでも落ち着かないのに、まとわりつく暑さに首を絞められているような気分だ。
義豊が父の実堯を良く思っていないのは明らかなことだった。自分よりも才能も人望もある人間が下にいて、焦らぬ人間などいないだろう。まして、そんな人物が仇敵と接触していると知ったならば。
だが、義堯は信じたかった。自分の主である義豊がそこまで愚かな人間ではないと。
父はまだ、生きているのだと。
ちっ、と舌打ちをしたその時、俄かに騒がしさが近付いてきた。思わず立ち上がると、向こうから駆け寄って来る家臣は顔面蒼白。その顔に焦りを滲ませていた。
「義堯様!」
その声も悲壮感に満ちている。あぁ、駄目だ、と心のどこかが悲しみの支度を始めるのを感じた。
「実堯様が、実堯様が!」
握りしめた手のひらに爪が食い込む。ひびが入りそうなほど奥歯を噛みしめる。最後に聞いた父の声が頭の奥に響く。
『留守は頼んだよ』
あの時きっと父はこうなることに気が付いていた。自分もそれに気が付いていた。
しかし、だからといって何ができただろうか。行くなとも言えない。城を留守にもできない。自分は城を守りここに居た。それが最善だと信じているし疑ってもいないが、自分がどうにも身動きが取れないでいるうちに父親が殺されたという事実に何も思わないでいられるわけがなかった。
生きて帰って欲しいと願うことくらいは、許してほしかった。
(父上…)
『私の留守中に何かあったら』
頭の中で響くのは、城を出る前の父の言葉だ。今、ようやく、それまで霞がかかっていた、父の見ていたのと同じ景色が見えた気がした。
父が自分の死の向こうに見ていた景色だ。今自分が成し遂げなければならぬことだ。
『彼によろしく伝えておいてくれ』
「ほう、じょう」
口をついて出たその名。先代から二代で随分大きく成長して、今やこの一帯で知らぬものなどいないだろう。
父が今の当主と関わりを持っていたのは知っている。というよりかは、北条の方からこちらに歩み寄りの姿勢を示していた。
北条は勢いよく勢力を広げているから、義豊が邪魔なのは明らかだった。結局、北条に利用される形で父がその命を犠牲にした今、こちらもその力を利用せねばなるまい。
瞬きも忘れていた瞼をそっと閉じる。ぎゅ、と強くつむって、再びかっと開いた目に映る世界は澄み切って見えた。
二
暑い日だった。夜だというのに冷めない空気は、しかし雨の日のように重苦しかった。
北条氏康は珍しく歪んだ父の横顔を眺めていた。さっき入った知らせを聞いてから、怒るような、悔やむような顔をして押し黙っている。
里見義豊を抑えるために、父が里見氏の中で力をつけている里見実堯らに接近しているのは知っていた。しかしだ、父がこんな顔をする理由は分からない。
決して冷徹な男ではないが、父ならこうなることも予想できていたはずだ。当主に隠れて仇敵と通じている人間が殺されることなど、今の時代なら日常茶飯事、むしろこうなることを見越して父が実堯に目を付けたのだとすら、思っていたのだが。
「父上、」
義豊によって実堯が殺されたという知らせを受けてから、顔を歪めたまま微動だにしない父に声を掛ける。知らせを持ってきた者をはじめ、侍る家臣はその指示を待っている。
「父上、いかがなさいますか」
「こちらからは動かぬ」
眉根を寄せたまま、そう呟く声は大きくないのに、そこに居る全ての人間が待ち構えた言葉だからか、良く響く。
「義豊はこの後、上総金谷城を攻めるはず」
自分たちの今後の挙動は、今金谷に残る息子、里見義堯の出方次第だと、父はそう言った。
「戦の準備は怠るな」
しかし、その声は、必ず援助の求めがあることを言外に伝えていた。
渋い顔はそのまま、油断しないようその場にいる家臣たちを一睨みして、話は終わる。部屋を後にする彼らと一緒に立ち上がれないのは、父のその表情が胸につかえるからだ。
「里見実堯というのは」
どんな男でしたか、そう尋ねると父はようやくこちらに顔を向けて、より一層眉間の皺を濃くした。
「お前は見たことがなかったか」
尋ねられて記憶をたどる。見た目はなんとなく思い出せはするが、武功の噂の割に凡庸な容姿で、武人という気がしなかった印象くらいしか残っていない。
「見たことはございます、が」
ふう、と息を吐く音が聞こえてその表情をうかがうと、眉間の皺を僅かに薄くして、苦く微笑んでいた。
「不思議な男だったよ」
その声が優しくて、確かにそうなのだろうと思う。父にこんな複雑な顔をさせる人物が他にいただろうか。
「息子の義堯を知っているか」
「名前だけなら」
里見氏の傍流の息子だということしか知らないが、実堯の息子ならばそれなりに才能はあるのだろう。何せ、父がその動きを待つと言った人物だ。
「父を亡くした今、あれがこれからどんな動きをするか」
そう言う父の瞳が、映していた火の灯りが揺れたせいだろうか、まるで涙をこらえているようにみえた。
「よく、よく見ておけよ」
その声色がなぜか懇願のように聞こえて、深くうなずいてしまう。
一人にしてくれ、という声に部屋を後にするとき、父の声で、今はもう亡い人の名を囁く声が、闇に溶けていくのを聞いた気がしたけれど、気のせいかもしれなかった。
三
「父が死にました」
「あぁ」
盛りを過ぎたとはいえまだ残る暑さがあるのに、そんなもの感じさせない爽やかな笑顔で彼は言った。北条の家督が三代目に移ったことを、知らないはずはないのに。
「北条の当主様が、こんなところまでご苦労なこった」
「奇しくも」
嫌味に挑発されてはくれないらしかった。余裕のある顔が鼻につくのだ、昔から。
「義堯殿と、父を亡くした齢が同じになりました」
その言葉で思い出す、父を亡くした日。戦いの、始まりの日。
思い出さないようにしていた記憶の、その扉をこじ開けられたような気がして、睨み付けた顔は穏やかに微笑んでいた。
「父は貴方を気にかけていましたよ」
「恨んでいた、の間違いじゃないのか」
あの後、北条の力を利用して家督を奪い取って、すぐに背いた。今だって、安房は北条の傘下でもなければ、和睦もない。
それなのに、敵地にいて、まるで本拠にあるかのような余裕がいつだって義堯を苛立たせるのだ。まるでお前など眼中にないとでも言われているようで。
「今、ここで殺されたって、お前に文句は言えないぜ」
膝で距離を詰めて、持っていた扇子を首筋に当てた。もしこれが刃物なら、命だって奪える。
しかし、氏康は抵抗も困惑もなく、扇子を持っている義堯の右手首を掴んだ。その力だけが予想以上に強い。
「でも貴方は私を殺さない」
耳元で聞こえた声が背中を震わせて、引こうとした腕が離れない。
「それに」
睨み付けようと思って合わせた瞳が予想以上に近くて。
「貴方に殺されるなら」
予想以上に熱く燃えていた。
「戦場でなければ」
瞳の奥のじっとりとした炎に、なぜこの身体は甘く痺れるのだろう。
(あの時からだ)
初めて目が合った時、なかなか目を逸らすことができなかった。戦う姿を見た時、その姿に見惚れてしまいそうになった。戦う彼の瞳を見つめた時、自分がこれから何のために、誰のために戦うのかも忘れそうになった。
気を抜けば、すぐに奪われ失くしてしまいそうだった。父の遺した里見の名も、矜持も、対等な関係も。
だから選んだのだ、抵抗を。
腕を思いきり振り払えば今までの拘束が嘘のように離れた。
姿勢を正して距離を取ると、今度は向こうから近づいてくる。後退るのが悔しくてそのままの姿勢を保てば、鼻先が触れる距離に相手の顔がある。
「これから、宜しくお願いしますね」
「やなこった」
もし自分たちに、北条の当主だとか、里見の当主だとかそういう立場がなかったらどうなるのだろう。
考えるのも忌々しくて、目を閉じる。
なのに、瞼の裏、初めてその姿をこの瞳に映した時の感覚を未だ忘れることもできないで。
手を取り合うような未来など、ないというのに。 -
あの日もちょうど、こんな冷たい風の吹く日で、弱くなった肌に触れた手のひらがひどく暖かく感じた。
乱暴なのに眼差しが優しくて、拒むことができなかった。
***
稽古に遊びに疲れたのか、おやつの後、隣で午睡を始めた息子の寝顔を覗き込む。なにもなくても息子は可愛いが、永らく離れていた上に、その命さえ危うい時があった今、隣で眠るその姿は何よりも愛おしく感じる。
いろいろな経験をしてきたせいか大人びた顔をする息子も、寝顔は年相応で思わず微笑んだ。風邪をひかないように自分の上着を息子にかけるついでに自分も横になる。
抱きしめた体は随分大きくなったけれど、それでもまだ官兵衛の体にすっぽり収まるから、抱きしめれば暖かい。
自分もこのまま寝てしまおうかと丸まった小さな背中をぽんぽんとたたいていると、ん、とまだ小さな頭を官兵衛の胸に擦り付ける。
「ちち、うえ」
そのすがるような声色は、愛おしいだけのはずだった。なのに、寝ぼけて掠れた声が耳に届くのと、自分の胸に収まる頭が目の前にあって、つむじが覗くその光景に、既視感がある。官兵衛の頭の中に、もやもやとあまり思い出したくない、思い出してはいけない記憶がよみがえりそうになる。
(だめだ、思い出すな)
ふるふると首を横にふって、息子の頭を撫でる。その自分の動作さえ何かを彷彿とさせるから。
(このまま眠ってしまおう)
そう思って、目を閉じようとしたその時だ。
「ちちうえ」
もう一度そう息子が寝言を言った時、頭を胸に擦り付けた時、ついに思い出してしまった。
(あぁ)
今と同じような体勢で、息子とは似ても似つかない自分よりも大きな男をその胸に抱きしめた日のことを。
(どうして)
似ても似つかぬ声で、自分の名を呼ぶのを。
(今更)
眠っていながら決して離さないとでもいうかのように、絡みつく逞しい腕を。
勝手に脳が反芻しはじめるたびに、体温や声が思いだされてたまらない。自分を抱くときの態度は強引なくせに、指先と眼差しだけは随分優しくて困惑した。
支配しようとするくせに、官兵衛が拒むたびに目の奥に浮かぶのは安堵だった。その安堵に不満を覚える自分に気が付いて、絶望したのももう過去の事なのに。
(これでよかったんだ、これで)
終わりはあっけなく、別れの言葉も交わさぬまま離れたあと、こんなに簡単なことだったのかと呆然とした。
それともあの男は気が付いていたのかもしれない、そういえば、あの形のいい頭を抱きしめたのは、寝言で名前を呼ばれたのは、最後に抱かれた夜だったか。
これ以上思い出したらどうにかなってしまいそうで、息子をぎゅっと抱きしめて目を閉じる。腕の中の体温は優しくて、あの時とは何もかも違うのだ。
同じだったのは、すがるような声だけだったのだ、きっと。
(忘れることもできないで、これではまだ、とらわれたままだ)
心を牢の中に置いてきたような気持ちは消えないで、腕の中の体温に連れられて意識が遠く離れていく。それでもまだあの声は消えない。
『おれのものになれ、官兵衛』
-
夕暮れのころ、部屋に差す夕日をその頬に受けて口に馴染んだ題目を唱える清正は、背中で誰かの気配を感じて、口の動きを止めた。
「何の用だ」
自分がこうしているときに邪魔をしてくるような人物は一人しか思い浮かばないのだが、その人物がすぐ近くにいるだなんて思いたくはなかった。
返事もせずに近寄ってくる気配に苛立ちは増す。たった一人の人物に乱される自分の心にさえ、苛立つ。
そんな清正の内心を知っていないはずはないのに、気配だけは全開にして近づいてくるのは隣の宇土城の主、その方を振り返るのも癪に障ると清正はそのままの姿勢で相手を待ち受けた。
二人の距離が一尺ほどになった時、近づいていた気配がぴたりととまる。わずかに流れた沈黙の後に、清正の、一番嫌いな声が部屋に響いた。
「話聞きに来ただけやん、そんな嫌がらんといて」
「お前にする話なんかないぞ」
「傷つくわぁ」
もちろん、清正の言葉に傷つく行長ではない。それがわかっている分、侮るようなそのしゃべり方も嫌だと奥歯をかみしめた。
沈黙を待たずに、行長は続ける。
「朝鮮で虎退治をしたって、ほんま?」
そんな清正に、頭の隅にもなかった話題がふりかかる。信じていないような口ぶりはきっと清正を挑発しているのだろう。
今更そんな話を出してきて、何を企んでいるのかと、行長には見えないところで清正は眉間にしわを寄せた。
「だったらどうした」
相手の思惑に乗ってやるものかと適当な返事をする。
「ほんまかいな、お虎が虎退治!」
わざとおどけた声を出して、こいつはどこまで人を馬鹿にするのか、思わず振り向いて睨み付けてやりたくなるのをぐっとこらえて瞼を閉じる。
「なぁ、おせぇてな」
一尺ほどしかなかった距離がまた縮まっていくのを感じる。
「虎退治のやりかた」
返事はしない。目を閉じたまま、清正は相手の気配背中で受けてその動きを待っている。
「俺にも退治せなあかん虎がおるんや」
なぁ、虎之助
行長はその名前を呼んで、清正の肩に触れようとした。その手をぐ、とつかんで、清正はその体を固い床に押さえつけた。
床に半ばたたきつけられたというのに、行長は平気そうな顔をしているから予想通りの展開なのだろう。清正にとっては、気に障ることばかりだ。
「お前に虎退治などできるか」
自分でも驚くほど低い声が出た。腹が立つ。こんなに弱い腕で〝虎退治〟など。
「虎がどんな風に獲物を仕留めるか知ってるか」
こちらを見たまま目をそらさない行長に、弱いくせにと内心毒づいた。
「さぁ」
相変わらずとぼけたふうにいう行長を、清正の眼は許さない。その瞳に炎がともる。
「俺が虎だったら、今頃もうお前は死んでいる」
清正が大きく口を開ける。自分自身、いったい何をしているのかよくわかっていなかった。ただ、自分の中にある本能のようなものが、目の前の白い首にかみつくのが当然だというように信号を送って、まさに自分が虎になったような感覚がする。
しかし、その尖った犬歯が行長の頸に届く前に、その感覚は霧散した。なぜなら自分の首元に添えられる刃物の感覚に気が付いたからだ。
二人の間に緊張が走る一瞬だった。清正が噛みつくのが先か、行長の手にある短刀が刺さるの先か。
そのどちらも正解ではないと、清正はその歯をひっこめて、ざらりと目の前の白い頸を舌でなぞった。
「ッひ!」
その瞬間、小西の方からも緊張感が消えて、なにすんッ!と悲鳴が下から聞こえてくる。
それを聞きながら清正は行長の上から退くと、いつものように感情のこもらない目で行長を見つめた。
「ばかばかしいことを考えていないで、さっさと帰れ」
「・・・つれないな」
そういいながら行長は、まだ舐められた部分が気になるのか、忌々しげに、予想外やったわと首を拭っている。
その不本意そうな顔が、少しばかり清正の苛立ちを抑えた。
「くそ、虎退治は失敗やった」
「その気もないくせに」
「あ、ばれてた」
残念、と軽く言う行長は物騒な短刀をしまいながら立ち上がる。そして、清正の横を通りすぎた出口の手前でくるりと振り返ると、にやりと笑ってこう言った。
「でも、久々にいいもん見たわ」
ほなな、そう言って消えていく行長の背中をじっとみつめながら、清正はさっきの白く細い頸を思い出していた。
しかしその時、世界を赤く染めていた夕日が沈んで濃くなる影の中、行長が清正の瞳に一時宿った炎を思い出して背筋を震わせていたことは、知らないままである。