"創作戦国"カテゴリーの記事一覧
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「最近嫌な夢を見るのだ」
まるで告解を求める信徒のような顔で、久しぶりにあった友が口を開いた。
その吐息から花の香りがしたような気がして、隠した思いが浮き上がりそうになる。
「聞いてくれるか」
自分が今まで彼の願いを拒んだことがあっただろうか。抵抗する術を持たないまま、高山右近はうなずいて、庭を進むその背中を追いかけた。
関ヶ原の戦いより後、少しやせた気がする背中に触れたくなる。寒くなりかけたこの時期に上着は忘れたらしい。しかし、寒いだろうと身を寄せるには、自分の下心が咎める。
「夢の中で、たまが私を呼ぶ」
言われて、つい先日失われたばかりの女性の面影を思い出す。彼の愛した彼女は本当に美しい、キリシタン、だった。
「呼ばれるままに部屋を進むと、棺がある」
人質になることを拒み、命を差し出したその最期はもう有名な話だ。
「棺の中には目を閉じたたまがいて、私はそれをじっと見つめている」
失くした室の話をされて、相槌をうまく挟めるほど距離のある関係ではない。ただ後を追いかけて話を聞くしかできない。忠興もそれで満足しているのか、振り向くことなく庭を歩く。
「見つめていると、息が苦しくなって」
庭はもう秋を過ぎて冬の色だ。冷たい風がひとつ吹いて、目の前の背中がまた一回り小さくなったように見えた。
「せき込むと、口から花が出てくるのだ」
思わず高山は足をとめた。愛する人の納まる棺の中に、花を吐き出す彼を想像した。その美しさと、それを美しいと思うことへの背徳感が混ざる。
足音の消えたのに気が付いたのか、振り向いた忠興の顔は、やはり少しだけ力がない。しかし滅多に見ることのない彼の憂えた顔は白く、今しがた想像したのより、美しく映る。
「そう、身構えてくれるな、夢の話だ」
そういってまた歩き出す忠興に、ようやく高山も歩き出す。
「こんな話ができるのは、高山殿くらいなのだから」
ずるい、そう思わずにいられなかった。自分の葛藤など置いてきぼりで、こんな風に甘えるなんて。
「…いくら吐き出しても花は出てきて」
そのくせ、その恋心を、もう亡い人に預けたままで、こんな話を聞かせて。
「たまの好きだった花で棺がいっぱいになるころ、ようやく目が覚める」
顔など見なくても、表情がわかるような声だった。
「これが恋煩いだとでもいうなら」
歩調を緩めて、空を見上げている。高山も追うように空を見上げた。
「死ぬまで癒えまい」
悪夢だよ、そうつぶやいた彼がぴた、と立ち止まり、こほ、と一つせき込むから、高山はあわてて自分の上着を脱いでその肩にかけた。ありがとう、と忠興が自分の肩に手を添える。指と指が触れた、それだけなのに、なぜかこみ上げるものがあって、高山は慌てて指を離した。
「風邪でも召されたか」
「…少し寒いな、そろそろ戻ろう。暖かいものを用意させる」
高山の上着に遠慮なく包まれた忠興が庭から屋敷へ足を進める。後を追おうとした高山の足元に、まっしろな何かが落ちていた
(花・・・?)
あたりを見渡しても、花をつけた木などない。不思議に思って拾い上げる。嗅いだことのないような甘いにおいがして、くらくらしそうだ。
〝せき込むと、口から花が出てくるのだ〟
先刻の言葉を思い出す。まさかな、と思いながら花を見つめる。彼の横顔を思い出したら、胸がつかえた。そのまま感覚が喉までせりあがって、思わずせき込む。
「けほ、」
覆った手のひらが何かをとらえた。痰でも出たかと慌てて手のひらを見れば、そこにあったのは。
(あぁ)
頭の中で声がする。
〝これが恋煩いだとでもいうなら、死ぬまで癒えまい〟
手のひらに、二つに増えた白い花が、甘い香りも倍にして、高山をじっと、見つめていた。PR -
何もかもが変わったけれど、何も変わっていないと思った。
どちらが夢か
ふ、と浮き上がる意識とともに薄くまぶたを開けたら義堯の目の前にあったのは喉仏だった。頭をもそりと動かして顔を見れば、彼はまだ夢の中のようで、起きる気配はない。
規則的な寝息を聞きながら、自然と指がその顔に伸びた。古い記憶にだけ残る傷跡をなぞってみる。
(確かこの辺、から、こう)
記憶の傷を再現するように爪で頬を撫でる。かつて身体中に刀傷を作っていた男の肌は、今では傷跡さえ見当たらなくて、美しいまま保たれている。
たしか胸のあたりや脇腹にも大きな傷跡があった。全て覚えているのかと自嘲を漏らした時、背中に回っていた腕にこもる力が強くなった。
起きた、わけではないようだ。何か夢でも見ているのだろうか。
夢なら義堯もよく見る。昔々、まだ自分が他の人生を歩んでいた時の夢だ。罠と下剋上と戦いの日々、その中にあった、ひどい執着の夢だ。
(うじやす、)
その夢の中で自分を何度も抱く男が目の前に現れた時は驚いたし、その男が自分に、なんの戸惑いも、驚きもなく、はじめまして、と挨拶した時は、こんなもんかと呆然としたものだ。
(なんで俺が覚えてて、お前が)
惹き合ったと思っていた魂が一方通行だったのだと言われたような気がして、自分の中にだけ残る執着は行き場を失った。しかし、義堯の苦しみはつかの間のことだった。
氏康は、変わっていなかったのだ。再会してからの態度は、記憶の中と全く同じだった。強引で、しぶとくて、強い男。
だから義堯もそれに応えた。つれなくするのは簡単だった。だって一回経験済みだ。
この出会いは運命だと思うのです、真っ直ぐな瞳でそんなことを言われたら、彼の魂の変わらないこと、お互いの引力を疑うすべなどなかった。
バカじゃねぇの、と応えたのは我ながら満点だったと義堯は思う。
昔もわからなかったことだが、平和な時代で肌を重ねるようになっても、まだ自分の気持ちは分からない。愛だとか恋だとか呼べるほど美しくも優しくもないけれど、そんなものよりひどい執着だ。
(離せない)
彼の心を引きつけておけるなら身体だって使えた。もちろん自分から差し出したりはしない。奪わせるのだ。氏康が愛しているだとか好きだとか言うたびに襲う罪悪感くらいでは、どうにもならないくらいに焦がれていた。奪い合う関 係の甘美は、彼で無いと与えてはくれまい。
目の前の肩に頭を寄せれば、いつか、その肌の熱さに抗って身をよじった日を懐かしく思い出す。
自分を抱く時の、まぶたの奥が昔と同じに、猛獣のギラつきを孕んでいたときは全身が粟立つほど興奮した。
記憶など、なくても、お互いがこんなに求めている。
それだけでいいのだ。
目が覚めたら、腕の中からすり抜けてやろう。それまではこの男が自分のものである満足を吸い取っていよう。
(今度は俺が先に死んでやる)
だから、次はお前が俺を追いかけてこいよ、そう思いながらまた目を閉じる。
目覚まし時計の鳴る30分前、義堯はつかの間のまどろみを待った。
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「氏康さんのことでお話が」
貴重な休日、だらだらと過ごしていたらインターホンが鳴った。こんな日に誰だと玄関の扉を開ければ、何度か見たことがある顔がそこにあった。
少し俯いて言いづらそうに、眉間にしわを寄せる彼を、義堯はほぼ無言で自室に招き入れた。
つい先ほどまで氏康が座ってコーヒーを飲んでいた場所で、多目という男は出されたグラスを睨み付けていた。
「で、話って何だ」
自分は適当なインスタントコーヒーの入ったカップをもって向かいに座る。
「見当はついているでしょう」
確かに、だってこれも、〝はじめて〟ではない。沈黙を肯定と取ったのか、多目はためらいなく言った。
「氏康さんと、別れてください」
口調は穏やかだった。
「彼は優秀な人物です。これから父、氏綱さんの事業を次いで社長になる方」
そんなことは言われなくても知っている。返事はせずにインスタント―コーヒーをすする。妙に焦げ臭いそれは義堯の舌には合うが、良いものを知っている氏康はもしかしたら苦手なのかもしれない、などと考える。
「そろそろ結婚して、跡継ぎも必要になります」
その言葉に、義堯の眉がピクリと反応したのを多目は見逃さなかった。何を急いだのか、言わなくてもいいことを、言った。
「現代では、愛人というのも外聞が悪い」
その言葉に、ハッとする。もしかして。
「お前、覚えているのか」
多目はすこしだけ目を見開くだけで返事をしない。代わりに、グラスの中でわずかに溶けた氷がカランと涼しげな音をたてた。
「……別れるって、言ってもよ」
少し冷めたコーヒーが何故か先ほどよりも渋く感じて、コトンとカップを机に置いた。
「別に俺たち、つきあってないぜ」
「そんな!」
「それに」
義堯は下から多目を睨み返す。
「そういう話は氏康の野郎に直接言えって」
昔もいっただろ、と言葉にはせず眼差しで伝える。伝わったのか、多目はばつが悪そうに眼をそらした。
「俺のところに来るも来ないも、あいつの勝手だ」
今度は多目が沈黙を守っている。
「あいつが離れていくときは、追いかけないから安心しろよ」
もういらなくなったコーヒーを片付けようと、カップをもって立ち上がる。
だからもう帰れ。キッチンへと多目の横を通り過ぎる。その時中身の減っていないグラスを回収しようとしたその手を、取られた。
「…何だ」
「直接言って、聞くと思いますか」
「さぁな」
聞かないだろう。下手をすれば、義堯と生きる覚悟を一層固くしてしまうだろう。
「死ぬまで、このままいるつもりですか」
多目はこちらを見ていないから、その表情は分からない。唯一見えるつむじに向かって、返事をした。
「それもいいかもな」
その瞬間、つかんでいた手がゆるむから、食器を引き上げて台所に向かう。
「お邪魔しました」
そう言って多目が出て行って、扉がパタンとしまった時、義堯のつぶやいた言葉は、誰の耳にも届かず消えた。
「死ぬまでじゃ少し、物足りないか」
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「蛍が美しいですよ」
戸の向こうの弟の声に呼ばれて外に出れば、庭に蛍が舞っていた。
飛び回る雄の鋭い光と、それを待つ雌の柔らかな光が、庭のあちこちで明滅する。その光を楽しみたくてそっと灯りにしていた火を吹き消したとき、自分でない誰かが同じようなことをしている景色が一瞬浮かんで、しかし火と一緒に消えてしまった。
二人で、だまって眺めた。不思議な黄緑は、皿に焼き付けることも布に染め付けることもできない色で、闇に浮かんでは消えて、また浮かぶ、その儚さだけが心に張り付く。
何かが動く気配に首を動かせば、弟が草に手を伸ばしてホタルを捕まえていた。
(あぁ、)
昔と同じだ。思い出す。あれはもう、随分昔のことだ。
―――――
あの日蛍を見ようと提案してきたのは兄だった。
また大内で覚えてきた風流な遊びかと嫌味を言いたくなるのをこらえていたら、幼い弟に背中を押されてしぶしぶ庭に出た。
弟二人が座ったのを見届けて、兄が火を吹き消す。元春はその横顔をじっと見つめていた。焦げた煙の臭いが鼻をかすめた。
光で線を描きながら、庭を蛍が舞う。
元春には風流も何もわからない。それでも美しいとは思って、見とれた。でもすぐに、美しいとしか思えない自分が、考えてもわからない兄の心が、嫌になった。
(兄上は、)
何を思うのだろうか。昔を思い出すのか、否、
「えい!」
らしくない物思いは、幼い弟の声に断たれた。
「つかまえました!」
そう言って、合わせた手のひらを優しく開く。不思議な色の光がまだ小さな指の間から漏れている。
隆景はそれを嬉しそうに兄たちの元へ持ってくる。
弟に手を差し出された隆元が、両手で皿を作ると、隆景はそこにそおっと蛍をとまらせた。やさしい光は、メスだろう。
「きれいだね」
隆元が自分の手のひらを覗き込む。兄の横顔が淡い光に照らされて浮かび上がるのを、元春はじっと見ていた。
「きれいだ」
もう一度そう言った兄の目はじっと蛍を見つめているから、元春が見つめているのが自分だなんて思ってもいないだろう。
元春の目には、優しい光に照らされた、兄の横顔だけが映っていた。
闇の中に、筆で書いたようにくっきりと浮かび上がる顎の曲線が現れては消える。光を映す瞳にも色がついて、瞬いている。
見とれていた。だから、突然話し出した兄の言葉に返事をするのが遅くなった。
「たわごとを」
兄の言葉に、しっかり向き合うのは、いつだって苦手だった。
何の話かも理解せぬまま、見とれたことをごまかすために、冷たく返事をした。
―――――
「兄上?」
目の前の弟はもう幼くなかった。随分男らしくなった手の中に、あの時と同じように蛍の光を閉じ込めて笑っている。
「おまえらしくないな」
大人になって随分落ち着いた弟にもまだやんちゃな気持ちが残っていたのが意外だった。
弟の中の蛍の光は、しかし記憶よりもすこし鋭い。
「雄か」
「幼いころは雌しか捕まえられませんでしたが」
そう言いながらその手を差し出してくる。昔兄がしていたように、今度は元春が手のひらで皿を作った。
手の中で暴れるのか、隆景はなかなか手を開かない。
「なぁ、隆景」
「何です」
幼かった彼は、覚えているだろうか。
「〝あのとき〟兄上は何と言ったか」
隆景が、目を見開いた。その後苦笑いをして、さぁ、と返事をした。
「何か言っていましたか」
ようやく、隆景が優しく手を開ける。蛍が元春の手のひらにぽとりと落ちてきた。
飛んでいかないように、手で檻を作る。
昔兄の手のひらにいた蛍よりも、随分明るい。
予想していたよりも、蛍は手の中でおとなしくしている。チカチカと瞬く光は今も美しいだけだった。
「美しいな」
思わず漏れた声に、そうですね、と兄に似た優しい声が応えた。
美しいと思うだけでよかったのだと、今ようやく、そう思える。
「美しい」
なぁ、兄上、心の中でそうつぶやいた時、突然、蛍が羽を開いて、手のひらの檻からすうっと出ていった。
その光が闇に線を引いて消えていくのを見て、思い出した。
兄は、こういった。
〝きっと私は二人より先に逝くだろうから、そしたら〟
優しい苦笑いを思い出す。少し寂しげな、眉尻を下げた、困ったような顔を。
〝そしたら、蛍に生まれて、会いに来るよ〟
蛍を闇に見送りながら、元春はつぶやいた。
「たわごとを」
蛍になんかならなくても、十分美しかったのに。
それを伝える術を持っていたら、何かが違ったのだろうか。そのままの姿でそばにいてくれれば、それでいいのだと。
若い自分を責めながら目を閉じる。瞼の裏で残像がゆっくり消えていく。
「もういいだろう」
黙ったままの弟の返事を待たずに、立ち上がる。目は暗闇に慣れて歩くのに差し支えはない。廊下を戻ろうとする元春の背中に、隆景が優しく声をかけた。
「もうきっと、あんなに美しい雄は捕まりますまい」
昔の兄の言葉も、自分の後悔も、すべてわかっていたのだろう。弟のつぶやきに顔だけで振り向くと、口元の笑みだけで返事をした。
蛍は未だ明滅を繰り返す。夢には出てきてくれるなよと、もう一度庭に目をやれば、一際明るい光が、返事をするように瞬いて、消えた。 -
じめじめとした空気が肌にまとわりつく。吹き付ける潮風にはもう昔から慣れているが、拭っても、拭っても消えない湿気にはかなわない。
蝉がうるさい。その叫ぶような音を浴びながらゆるい坂を上った先に、子供が1人うずくまっていた。
調子でも悪いのかと近づくと、それは、秀家もよく知る子供だった。
「何をしているのだ」
うしろから優しく声をかける。首だけで振り向いた子供は秀家の姿を認めると慌てて立ち上がった。
「うきたさま」
慌てなくても良いぞと頭を撫でてやれば、はにかむのが可愛らしい。
「そんなところにしゃがみこんで、どうした」
尋ねると、また子供はくるりと身を翻して、先ほどと同じように、ちょん、とかがんで言った。
「これです」
そこにあったのは
「蝉か、」
そこには、仰向けに転がった蝉、いや、蝉だったものがあった。
子供は、じいっと蝉を見つめて言った。
「何ゆえせみは、このように、あわれになきがらをさらすのでしょうか」
そう子供が言う間にも、これから悲しく散っていくだろうセミたちの力強い叫びが青い空に吸い込まれていく。
秀家は自分が似たようなことを誰かに聞いた日を、それに応えてくれる人がいた日を、紐をほどくようにそっと、思い出した。
―――――
それはまだ秀家が岡山の城で、自分を愛してくれる人に囲まれて生きていたころの話だ。
庭で遊んでいた秀家は足もとになにかいるのに気が付いた。
(せみだ!)
しかしよく見るとそれはひくりとも動かない。つついてみても、つつかれたまま軽くころころと揺れるだけだ。何とも、情けない。
しゃがみこんで、その乾いた茶色の腹と、きゅっと縮こまった足を見つめる。こんな風に死ぬ虫が他にいるだろうか。
幾日も懸命に鳴き続けて、鳴き続けて、その最後がこんなに情けないものではかわいそうだと思った。この世の何ともいえない切なさを、死んだセミのまるい瞳のなかに見つけてしまったような気がした。
「なにしてはるの」
秀家がひとり物思いに沈んだとき、後ろから聞きなれた声がした。
「やくろう…」
城を出入りしている、小西弥九郎という人物だった。何をしに来ているのかは知らなかったが、いつも面白い話を聞かせて、遊び相手になってくれる彼に秀家はとても懐いていた。
そしてそれから、自分にとってとても大切な人になるのだけれど、当時まだ子供だった秀家には、そんなこと知る由もなかった。
「蝉ですか」
隣に弥九郎がしゃがみこむ。秀家は静かに頷いた。
「なぜこのような死に方をするのだろう」
木に止まるでもなく草に隠れるでもなく、地面にころりとその腹をさらして。
「一生懸命、鳴いていたのに」
夏の日差しが、さらされた秀家のうなじをじりじりと焦がすように照らす。
頭に優しい手のひらを感じた。
「一生懸命、鳴いていたから、」
期待していなかった返事に驚いてそちらを見れば、弥九郎の横顔には微笑があった。蝉の声が遠くなる。
「悔いることなどないのでしょう」
吹き抜けた風が汗を少しだけ冷やしていく。
「死に方など、気にしていないのでしょう」
そういって、こちらを向いた。その顔がとても、優しかった。
「自分のつとめを、きちんと果たしたから」
蝉の声が、またじわじわとうるさくなる中で、きこえた、「弔ってあげましょうね」という声にこくりと頷く。
日差しで熱くなった頭を、少し大きな細い手が労わるように撫でてくれた。
あの優しい手のひらが、失われてしまって、もう、どのくらい経ったのだろうか。
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「一生懸命鳴いていたのに」
それがいつかの自分の言葉なのか、目の前にいる子供のものなのか、判断するのに時間がかかった。
しゃがみこむ子供の横に自分もしゃがみ、秀家はあの時の彼の言葉舌にのせる。
言いながら、自分の生き様を思った。彼はどんな気持ちだったのだろうか
撫でた子供の頭は思っていたより小さかった。彼の手のひらにおさまった自分の頭も、こんなに小さかったのだろうか。
まるで儀式のようにあの時を繰り返す。子供と一緒にせみを土に埋めていく。
〝悔いることなどないのでしょう〟
頭の奥から声が響く。
〝死に方など気にしていないのでしょう〟
彼の亡骸に手を合わせることすらできなかった。
〝自分のつとめを、きちんと果たしたから〟
少し山になった蝉の墓に、子供がそっと手を合わせる。それに倣って手を合わせるとき、脳裏に彼の笑顔が浮かぶから、つむった瞼に力がこもる。
(彼は果たしたのか)
自分のつとめを。悔いなき人生を。
(自分は果たせたのか、果たせるのか)
今なお鳴く蝉が自分の最後を知らぬように、秀家にもまた、それは分からなかった。
蝉はただたださわがしく、その音は変わらず青い空に吸い込まれていくだけだった。
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「氏綱君は私の事あまり好きじゃないでしょ、わかるよ」
縁側に座り、猫と遊びながらそんなことを言う。その表情は、見えなかった。
暑い日だった。外を歩けば湿った潮風が絡みつくのに、刺すような日差しで、汗も蒸発しそうだった。
眼下には青い海が陽の光を反射してきらめいている。氏綱はそっと汗をぬぐい、門をくぐった。
屋敷に入ってしまえばなかなか快適で、上手く風を入れるのはさすがと氏綱も感心する。
「暑い中、大変だったでしょう」
微笑みながら先程運ばれた茶を差し出すのは、里見実堯、敵を同じとして協力する相手だ。しかし自分は決して味方ではないのに、その表情や対応があまりにも無防備だと何かにつけて思う。
もてなしの冷茶は素直にうれしいが、些か緊張感にかけるなと、いつもと変わらない感想を抱いて、自然眉間にしわが寄る
「そろそろ、義豊くんたちが騒いでいるみたいです」
世間話をするように突然、本題に触れる。眉間のシワが深くなる。中身を飲み干して空になった茶碗を置いた。
「…そうか」
氏綱は今自分の目の前にいる人物が少し、苦手だった。
いや、苦手という言葉でくくるには少し複雑な気持ちを、抱いていた。
自分が彼を騙そうとしているのが、なぜだが後ろめたくなるのだ。
里見実堯という人物は、関わり始めた時から、氏綱からしたらとても甘いように見えた。警戒心や野心の感じられない態度に、不満さえあった。
北条にとっては、里見がうまく二つに割れてくれれば好都合、実堯の力などどうでもいい、そう言い聞かせてやりとりを進めたけれど、違和感はぬぐえない。
北条の思惑はどうあれ、里見としては、今から家督を奪おうという、いわば下剋上を遂げようとしている。それなのに、それだけの警戒と猜疑が微塵も見えない。
その素直さも愚かさも、今まで見てきた人々にはないもので、氏綱を戸惑わせた。
無防備な笑顔や表情を見せられるたび、違和感に心がざわめいた。これを巻き込むべきだったのかという自分らしくない煩悶さえ生まれて、随分苛まれたような気がする。
なぜ疑わないのか、なぜ警戒しないのか、なぜそんなに無防備なのか。このままでは。
(このままでは?)
「もうすぐ、ですね」
まるで他人事のようにいう、実堯の声に、はっとする。相変わらず油断まみれの実堯は、氏綱に背をむけて、縁側にすわり猫を抱いた。
「氏綱君は私の事あまり好きじゃないでしょう」
風がすっと部屋を吹き抜けて、潮と日差しで傷んだ実堯の髪を優しく揺する。
海辺で育ったにしては澄んだ肌が太陽に照らされて、透けて消えるように見えて、暑いはずなのに背筋が冷える様な感覚がした。
「そのようなことは、」
思わずその背中に手を伸ばしかけてはっとする。無意識の自分の動きに気を取られて、反応が遅れた。
最初は好ましくないと、思っていたはずなのに、どうしてか彼の言葉を否定したくなる。どうなってもいい相手のはずが、自分に嫌われていると、そう思わせておくのが酷く、つらい。
「そのようなことは」
なぜ自分はこんなに必死に否定しようとするのか。それでいて、今までしてきたような適当な世辞で片づけることもできずにいるのか。
氏綱の困惑を見透かすように、ふふ、と笑い声だけが聞こえた。顔は、見えない。
「でも私は昔から氏綱君に憧れていたのだよ」
氏綱の話を聞いているのかいないのか、突然の告白を始める。
なんとなく感じてはいたけれど、そんなことを今言われても、困る。氏綱の困惑をよそに、返事はもとより期待していないらしい実堯は一人で続ける。
「ううん、今も、憧れている」
氏綱の代わりに膝の上の猫が鳴く。猫の瞳に映るであろう、彼の表情が気になって仕方がない。
「君は強いから」
猫は鳴かなかった。
生まれた沈黙にまた、優しく潮風が吹き付けて、さわさわと木々の揺れる音がする。それが止む頃に口を開いたのは、また、実堯だった。
「大丈夫、私の役目は理解しているから」
その言葉に目を見開く。役目とは、そんな話をしただろうか。あくまで協力して、義豊を、倒すのではなかったか。
「だけどもう氏綱君とお話しできなくなるのはさみしいな」
にゃぁ、と氏綱の代わりにまた猫が返事をする。一瞬で違和感が解けていくのがわかった。
あぁ、彼は気がついていたのか。氏綱の目論見に。だからあんなに穏やかに笑っていた。利用されていることを、知っていたのだ。
そして氏綱の知らないところで、自分の命を捨てる覚悟を、していたのだ。
「騙されたなんて、思っていないよ」
氏綱の困惑さえ見透かして、実堯がこちらを振り向く。顔半分に夏の日差しを浴びて、その顔には恨みなど微塵もなかった。
それが逆に、つらい。
「息子を、義堯をよろしくお願いしますね」
そう言って、微笑んだ、その表情は、美しかった。
滲んでいた違和感は彼の覚悟だった。疑うはずも、警戒するはずもないのだ。死ぬつもりでいるのだから。いつの間にか惹かれていたことに気がついた時にはもう、遅い。
このままでは、実堯は、命を捨ててしまうだろう。しかし救い出す手差し伸べるには、もうなにもかも遅いのだ。
「もちろんだ」
氏綱は、こらえるように膝においた手を強く握り締め、そう返事をするしかできなかった。